「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄をもとにかえし、そして主はヨブのすべての財産を二倍に増された。」ヨブ42:10
「主の導きの確かさ」
ヨブは神様を仰ぎ見るという意味で、正しき人でした。ある日、サタンが神様に挑戦を挑みます。サタンは、ヨブの祝福を奪い取ったら彼は信仰を失うだろうというのです。そしてサタンは、ヨブの所有する財産や家族を奪いました。しかしヨブは、信仰を失うことはありませんでした。次にサタンは、ヨブの健康を奪います。それでもヨブは、神様を仰ぎ見るのです。友人たちが慰めに来て、結果的に因果応報説を唱えて戒めようとします。その中でヨブは、自分の正しさを主張します。その思いはやがて神様と自らの立場を同等とするよう思いに変化するのですが、それを私は責めることは出来ません。「なぜ私が苦しむのですか?」と疑問を持つことは当たり前ですし、ヨブはそれによって信仰を失ったわけではないのですから、それだけで充分素晴らしいことだと思うのです。こうして苦しみ続けるヨブでしたが、最後は神様の臨在に触れ、ヨブは平安を得て、自分を傷つけた友人を許し、祈ります。そうした時に神様は、ヨブの生涯を祝福されました。 神様はヨブに、「お前が苦しんだ理由は、サタンが挑戦したからだよ」と教えたわけではありません。「これこれこういう理由だったんだ」と、納得できる回答を示したわけでもないのです。それでもヨブは、神様の臨在に触れるということだけで平安を得て、明日を生きる力が与えられました。またヨブには、元のように10名の子供たちが与えられました。しかしそれは、死んだ子供が戻ってきたわけではなく、新しい子供たちです。彼が失った痛み、苦しんだ過去は、消えずにそのままなのです。しかしヨブは、神様を見失うことなく、主に在り続けました。 私たちも、同じような苦しみを受けることがあります。その回答が得られることもあれば、結局理由が分からずじまいのこともあります。私は30年前、弟を交通事故で亡くしました。その悲しみや痛みは、この30年間私を苦しませてきました。その度に主は慰めてくださり、恵みを与えてくださいましたが、それによって弟が戻ってくるわけではなく、弟の死についての明確な解答が得られたわけでもありません。しかし私は、永遠の世界に目を向けます。全ての回答は、永遠の世界で得られるのです。ですから、そこを目指し、主を見上げていくなら、これからも生きていくことが出来るでしょう。 主に目を向けましょう。主は確かにあなたの人生を導いておられるのです。今は分からないことが多くあるかも知れませんが、永遠の世界に完全なるいやしと平安があります。
(ペニンスラ教会の礼拝は信徒奨励のため、日本の横浜ホーリネス教会にて宣行牧師が本日メッセージをしたものをここに掲載しました)
ペニンスラ・フリーメソジスト教会 日語部牧師 榊原 宣行
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