| 2007年06月17日(日) |
「父の愛」 父の日メッセージ |
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」 ヨハネ3:16
今日は父の日の家族礼拝ですので、先ほどは子供たちのお話をいたしました。あの話は有名なイエス様の譬え話「放蕩息子」なのですが、その父親の愛こそ、神の愛をよく表しています。そして今日の聖句は、父なる神の愛をズバリ一言で表現していると言って良いでしょう。聖書の中の宝物のようなみことばであり、私が最も好きなみことばでもあります。神様は、その一人子イエス様を十字架につけたほどに、私を、そしてあなたを愛してくださいました。それは、私たちが滅びることなく、永遠の命、天国へと導かれるためなのです。 この聖句が語られた背景には、ニコデモという国会議員とイエス様との対話がありました。ニコデモは夜、イエス様に面会に来ます。それは彼の心の闇を示しているのでしょう。名声も富のある彼でしたが、人生の喜びがありませんでした。しかしイエス様は、まことの救いとは何か、天国への道は何かを示され、神にあって新しく生きることを教えられました。このような対話の中で、この宝石のようなみことばが語られたのでした。 父の日ですので、聖書の中の父と子のもう一つのお話を紹介しましょう。今度は、旧約聖書の実際のお話しで、父アブラハムと息子イサクの出来事です。ある日アブラハムは、神様から、息子を捧げるようにと命令を受けます。それは、羊をほふるように、息子を手にかけろという意味です。悩みぬいたであろうアブラハムですが、神様の命に従って山に行き、息子を縛って、手をかけようとしました。しかしその瞬間、神様からストップがかかりました。神様は、アブラハムの心を見ていたのです。またこの間、息子のイサクもジタバタと暴れるわけでなく、父に従いました。ここに、神にあって和をなす家族の姿があるでしょう。今は旧約の時代ではありませんので、このような命令が下ることはありませんが、神様はやはり私たちの心を見ておられるのだと思います。 子供は父親、そして母親を大切にし、親は子を、家族を大事に思う、これは何より大切にしなくてはならないことです。そしてそれと同時に、神様がその家族の中心にいるということ、キリストの十字架と復活が家族の土台であること、これが最も重要なことなのです。この幸いな父の日に、一人子を与えてくださったお方を、家族みんなであがめる日でありますように。
ペニンスラ・フリーメソジスト教会 日語部牧師 榊原 宣行
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