「宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、――しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。――」 ヨハネ2:9
「仕える者の喜び」
先週から、ヨハネによる福音書よりメッセージを語っています。ヨハネ独特の視点と記述があるということは先週お話しした通りですが、これもそのうちの一つです。この婚礼の記事は、ヨハネ独自の記述であって、イエス様の公生涯の最初の奇蹟として重要なものです。 カナという場所で婚礼があり、用意していたぶどう酒が切れてしまうというハプニングが起こりました。そこでマリアは、息子イエスに相談します。イエス様は、公生涯の幕開けを宣言するがごとくに、大いなる奇蹟をなされました。それが、水をぶどう酒に変えるという奇蹟でした。そのぶどう酒は、最初に用紙されていたものよりも上等なものでした。 私たちの人生にも、ピンチが訪れます。しかしそのピンチは、チャンスへと変えられるのです。その秘訣は、母マリアと、この場にいた手伝いのしもべたちに見ることが出来ます。彼らは、イエス様を信じ、その指示通りに動きました。マリアはイエス様を神と認め、手伝いの者たちに、イエス様の指示に従うようにと言います。そして言われたしもべたちは、その通りに水を汲み、その結果、彼らは素晴らしい奇蹟を目の当たりにしたのでした。私たちの人生の現実は、ピンチの連続かも知れません。しかしイエス様を仰ぐ者は、それがチャンスへと、勝利へと変えられることを目の当たりにする、そんな祝福に与ることが出来るのです。しかも、その祝福は、かつて与えられたものよりも大きなものです。最後に出たぶどう酒は、最初のものよりも上等なものでした。そうです、救いの恵みは、永遠の国という最高の祝福となって将来与えられるのです。 今日の礼拝では、七郎兄と知世姉、そしてお嬢さんの奈々姉の送別の祈りをすることになりました。この教会で家族で信仰を持ち、主にある交わりを続けたご家族を送り出すことは、なんともさびしい思いです。しかし彼らに対しては、お別れではなく、送り出すという気持ちです。なぜなら、彼らは良き教会の働き手でありました。七郎兄は、音響やホームページやJCTVといった、見えないカゲの奉仕で教会を支えて続けてくださいました。また知世姉は、平日に教会に来て、印刷や様々な事務仕事を引き受けてくださいました。それらは全て見えない奉仕です。しかし水を汲み続けた彼らしか知らない主の祝福があるのです。 イエス様の手に握られてこそ、この人生は本当の意味で祝福へと変えられます。私たちはそれぞれ、水を汲む良きしもべとなろうではありませんか。
ペニンスラ・フリーメソジスト教会 日語部牧師 榊原 宣行
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