| 2007年04月15日(日) |
『十字架の七言 1』 |
「そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』」 ルカ23:34
先週は主イエス・キリストの復活を祝うイースターでした。私たちの礼拝では、今週から7回にわたり、もう一度十字架の主をふりかえり、十字架上での七つの言葉を順番に開いていきたいと思っています。
今日は、十字架上での第一の言葉を読みました。これは、十字架に磔(はりつけ)にした兵士にだけではなく、嫉妬に狂った宗教者たち、裏切った弟子たち、そして自己中心によって罪に陥った民衆に向かって語った言葉だといえるでしょう。そればかりでなく、神を退けて生きてきた私たちに対しても語られた言葉です。神を神としないで生きることは、恐ろしい罪です。しかしイエス様はその赦しを祈ってくださり、身代わりとして十字架で死なれました。こうして私たちは、神の赦しを得るに至りました。
この十字架上の祈りを、別の人が祈ったという記録が聖書にはあります。それは使徒行伝に登場するステパノで、最初の殉教者となった人物です。彼は、キリストの十字架と復活の福音を伝えたために迫害され、石で打たれました。絶命のさなか、ステパノが祈った祈りが、この祈りだったのです。自らを誤解し、迫害する者のために、果たしてこういう祈りが出来るでしょうか? 私には難しい・・・と、自分自身を見つめたら、正直に告白しなければなりません。しかしイエス様は、罪に汚れた私のために、そう祈ってくださいました。だから私も、少しでも主イエス様の御思いを自らのものとしたいと願わされるものです。主が私を愛されたように、他者を愛したいと願います。主が私を赦してくださったように、私も他者を許したいのです。そんな祈りを、今日も主の前に献げさせていただきましょう。
ペニンスラ・フリーメソジスト教会 日語部牧師 榊原 宣行
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