「そこでふたりは話し合った。『道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。』」 ルカ24:32
イエス様は十字架にかかって死なれましたが、三日目に復活しました。それは信仰の目を開かなければ、信じることは出来ないかも知れません。実際、弟子たちすら信じることが出来なかったのです。エマオへ向かう途上の二人の弟子は、イエス様が復活したという知らせは受けていましたが、実際にまだ見てはいませんでした。ですからその知らせを認めることが出来ず、戸惑っていたのです。そしてイエス様が目の前に現れても、それがイエス様だとは気付かなかったのです。そんな二人でしたが、聖書を、そしてキリストの救いを熱心に語るその人と接している中で、ふとその人がイエス様であることに気付きました。こうして今までのことを思い起こした二人が語った言葉が、今日の聖句です。
主は今も生きておられます。十字架で私たちの罪を背負って死なれましたが、復活し、私たちに永遠の命を与えてくださるのです。だから私たちには、希望があります。悲しみ、苦しみ、痛み、嘆き・・・この地上は苦悩に満ちていますが、復活の主に目を向けましょう。癒しはそこから与えられ、完全な癒しは永遠の御国にて与えられます。
私は弟を交通事故で亡くしましたが、それから30年が経ちました。そして今年、あの事故を目撃したという弟の友人から、突然父のところへ連絡がありました。弟は自転車事故で亡くなったのですが、その友人は、弟の後ろを走っていたというのです。彼は30年間、「自分が生きてしまって後ろめたい」と思い、その気持ちを隠しながら生きてきたというのです。そしてこの30年の節目に、思い切って父のところへ初めて連絡をくださいました。父は彼に出会い、「30年後の息子に出会えたようで嬉しかった」と言っておりました。
実は私も、「俺が死んでいて、弟が生きていればよかったのに」と、30年間思い続けてきました。「弟だったら俺みたいに親不孝をしなかっただろうし・・・」などと考えて、罪の重荷を負い続けてきました。しかし30年後、この友人と父との出会いを通し、私自身も癒しを受けた思いです。上手く言葉には出来ませんが、ともかく神様が不思議な業を起こしてくださったとしか言いようがありません。
主と共に歩むなら、神様は大きな恵みを必ず注いでくださいます。誰が30年後の恵みを予想したでしょう? それどころか、永遠の御国では、完全な癒しが与えられるのです。このお方を思うなら、お互いの心は燃えるでしょう。
ペニンスラ・フリーメソジスト教会 日語部牧師 榊原 宣行
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