| 2007年04月22日(日) |
『十字架の七言 2』 |
イエスは、彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。』」 ルカ23:43
先週から、十字架上でのイエス様の言葉からメッセージをしていますが、今日は二間目となります。この言葉は、「主を信じる者は誰でもいつでも救われる」という意味での、究極の宣言ではないかと思います。
ゴルゴダの丘には、三本の十字架が立っていました。一つはもちろんイエス様の、そしてもう二つは死刑囚のものです。この死刑囚は、死罪に相応する犯罪人でした。そのうちの一人が、イエス様を「キリスト」と呼び、口を開きました。「キリスト」とは「メシア」「油注がれた者」、つまり「救い主」という意味なのですが、彼は本当はそんなことを信じて言ったわけではありません。兵卒や宗教者や民衆と同じく、嘲笑の意味でそれを口にし、その内容は「あんたがキリストだっていうなら、自分を救ってみたらいいだろう。そして、この俺を救ってくれ」という汚れと自己中心に満ちたものでした。ところがもう一人の死刑囚がそれを聞き、「神を畏れないのか? 俺たちが死刑になるのは当然だが、このお方は無実なのだ。」と言ったのです。しかも彼は、「キリスト」という称号ではなく、「イエス」という固有名詞で呼びました。そこに、死の最後のギリギリのところで彼の持った信仰、そして謙虚さが表されていると言えるでしょう。こうして彼は、永遠の救い、パラダイス、楽園へと入れられたのでした。
神を神としないことが、聖書で言うところの「罪」です。その罪は、決して赦されるものではありません。しかし、イエス様は身代わりとなって十字架で死んでくださいました。そのイエス様を受け入れる者は、どんな人であっても、今がどんな状態であっても、過去にどんなことがあった人であっても、必ず救われます。これが聖書の約束であり、神の愛なのです。そのことを受け止めながら、もう一度主の前に感謝しつつ、歩もうではありませんか。
ペニンスラ・フリーメソジスト教会 日語部牧師 榊原 宣行
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