ぺニンスラフリーメソジスト教会 牧師メッセージ

2007年04月01日(日) 『十字架の愛』

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」 ルカ22:42

今日は「パーム・サンデー」、日本語で言えば「棕櫚の聖日」です。イエス様は十字架で死なれる前の日曜日、子ロバに乗ってエルサレムに入城されました。その時人々は、棕櫚の葉を手に取りながらイエス様を大歓迎しました。それを記念するのが「パーム・サンデー」で、この金曜は十字架の「グッド・フライデー」、次の日曜は復活を祝う「イースター」と続きます。

2000年前、宗教家たちはねたみのためにイエス様を殺しました。そして弟子たちは、私利私欲にまみれてイエス様を裏切りました。そして民衆は、自らの勝手な考えでイエス様に救世主の期待をし、その欲求が満たされないとわかると、日曜に大歓迎したはずのイエス様を金曜には十字架へと追い込みました。これが聖書の言うところの罪です。罪とは、何かを盗むとか、ウソをつくとか、そういうことの根源にあるもの、つまり原罪です。神様を主として心に受け止めない、自己中心的な生き方を、聖書は罪と言っているのです。この罪が、イエス様を十字架につけました。そしてその罪は、私たちの中にもあるわけですから、私たちは誰もが罪びとであり、その罪人のためにイエス様は身代わりとなって十字架で死んでくださったのでした。

この聖書のみことばは、イエス様が木曜日の晩に祈ったものです。イエス様をしてこのように祈らせるほどに、私たちの罪は重く、汚れているということです。それでもイエス様は、私たちの罪も、重荷も、痛みも、つらさも、悲しみも苦しみも背負って、十字架で死んでくださいました。そしてその勝利によって、私たちには永遠の命が与えられました。このお方の愛を受け、私たちは主を見上げて進み行こうではありませんか。

ペニンスラ・フリーメソジスト教会 日語部牧師
榊原 宣行


 < 先週  INDEX  次週 >


nobuyuki