世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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その一
少しまえに、録画してあった「ブロンテ姉妹」(1977年、アンドレ・テシネ監督)という映画を観ていたら、最後の最後でロラン・バルトが出てきた。 最初は、この人知ってる、誰だっけ?と必死に思い出そうとしていたんだけど、一瞬「ガンッ」という衝撃が走って、同時にバルトだと気がついた。
バルトはサッカレー役で、鬘をつけていた。長い長い、謎のようなセリフを不思議な間合いでしゃべるのだ。プロの映画俳優ではあのセリフ回しは逆に出来ないんじゃないかと思わせるものがあった。
われながら酷いと思いながら書くと、化粧のせいもあるだろうけれど、ゲイリー・オールドマン演じるドラキュラに少し似ていると思った。バルトが自分の容貌に強いコンプレックスを抱いていたことを思い出した。
なにしろ、生きて動いているバルトをみたのは初めてだったし、予期せぬことだったので驚いてしまった。 (そうだ、それがきっかけでエルヴェ・ギベールを読み直したのだった。エミリー・ブロンテ役はイザベル・アジャーニ)
その二
読み終えたユリイカ('78年 特集 植草甚一氏の奇妙な情熱)の中に「99の質問」というアンケートがあって、その66番目、「孤島へ行くとしたら本は何を持っていきますか」という問いに、JJ氏は「吉田健一全集、三十冊が出つくしていたら、それ」とこたえていた。
それから篠田一士との対談ではニューヨークのヴィレッジについて話している中で、吉田健一の名前が出てくる。 「時間」のなかのひとつにニューヨークの夏が出てくる、あの暑さを書いたものは、ほかにはないなと思って、まだ印象に残っています、とJJ氏。
別に驚愕したとか、うれしくて胸が躍ったとかいうのではなくて、要するに、植草さんがまだ生きていた頃、好奇心だけは旺盛だった二十歳以前の自分というのは未だ子供にすらなってはいない、アカンボウのようなようなものだったのだなぁ、という感慨が積乱雲のように湧いて出て、そいつに打ちのめされてしまったのだった。
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