世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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少しまえに妹と電話で話していて「どこの墓に入るか」と聞かれ、驚いたことがあった。
福島に住んでいた妹の義父(ダンナのお父さん)が去年亡くなって、そのお墓を思い切って横浜に建てようかという話になっているのだそうだ。
それで、横浜の、私たちの両親の墓のある霊園内に墓所を買おうかという相談をしているらしい。義弟は長男だが今後福島へ帰るつもりはなく、また実家もお父さんが亡くなって空家になっているそうだ。
それで妹は、別件で電話をかけてきた私に「お姉ちゃん、お墓はどうするの。あたしたちのところに一緒に入ることにする?」と訊ねたのだった。独り身の姉の行く末を気遣っての言葉である。
いやはや。亡母の墓をどうするかでまだ存命だった父と妹と私と、あちこち霊園を見て回ったのが十一年前のこと。いくらなんでも、こんなに早く「自分の墓」のことを具体的に考えることになろうとは思ってもみなかった。ケアする側からされる側に、供養する側からされる側への移動距離は以外に短いのだな。
で、そのときは「パパとママの所へ入るつもりでいたんだけど。あそこ、つめればもうひとつは収まるはずよ」と答えたのだった。けれども勿論、こういうことをこの歳で、こういう状態で、はっきりと決定するのは難しい。死んだあとのことより、生きているいまの問題の方が先だもの。
後日この話を年若い友人にしたら、「電車の座席みたいでおかしい」と言って、大笑いされてしまった。「詰めれば入る、って。それ電車で座るときでしょう」。悪気もなく明るくそう言うので、私まで笑ってしまった。
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