萬葉集覚書

2007年01月08日(月) 23 打麻を 麻續の王

打麻(うつそ)を 麻續(おみ)の王(おおきみ) 海人なれや 伊良虞が島の 玉藻苅ります



あれあれ、あれをご覧。
麻續の王は海人になっておしまいか。
伊良虞の島で玉藻を刈っていなさるよ。




天武四年(675)、麻續王は罪を得て流罪に処されました。
罪名は不明ですが、そのことを伝える日本書紀では因幡に配流されたとあります。
近親の者として、息子達が2人、片や伊豆大島へ、片や五島列島血鹿島へと流されました。
息子二人は絶海の孤島へと流されて、父親が因幡へ流されたことから推測して、おそらく主犯は息子達であり、麻續王はそれに連座する形での配流だったのでしょう。
罪名は特に記されていませんが、これだけバラバラに遠くへ流すとすれば政治犯だったのでしょう。
もしも、天皇や皇后、若しくは皇子のいずれかの命を狙ったとすれば、即死刑となったでしょうが、流罪にとどまったのはおそらく高官の暗殺か暗殺未遂を起こしたのだと考えて良いではないでしょうか。

ただ、流罪といっても、流された先に家や食が用意されているわけではなくて、ただ単に絶海の孤島へ放り出されると言い換えた方が理解しやすいかも知れません。
即ち、死刑にしろ流罪にしろ、為政者の側からすれば命を助けるつもりなど毛頭ないわけで、流した先で罪人がどうなろうと一切無視しました。

生きていくためには住む家も食べるものも、すべて自分で調達しなければなりませんから、それまでの立場や位に関係なく、恥も外聞もなく生に執着して生き恥をさらすハメになるということでした。


因幡へ流罪になったはずの麻續王が、万葉集ではなぜ伊良虞が島に流されたとされているのでしょうか。
当時のそういうニュースは、正確な情報を専門のメディアが伝えるわけではありませんから、いきおい風聞に頼らざるを得ませんが、あちこちと噂が伝わっていくうちに、何処に流されたかが怪しくなっていったのでしょう。


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