2007年01月04日(木) |
21 紫の にほへる妹を |
紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも
紫草のようにしっとりと美しい我が妻よ。 おまえのことは、一度たりとも忘れたことなどありはしない。 もしお前のことが憎かったら、お前がすでに他人の妻と知りながら これほど切ない思いをするものか。
20の額田女王の歌も強烈なら、大海人皇子のこの歌も強烈ですねぇ。 十市皇女という娘をもうけて、幸せな生活を送っていた夫婦。 かつての夫大海人皇子と、かつての妻額田女王。 その二人が引き裂かれて幾年月が過ぎた頃、自分から額田女王を奪ったその人、天智天皇主催の狩りの場で再び邂逅した喜びに思わず袖を振った大海人皇子。 袖を振られて慌てはしたものの、それは大海人皇子がイヤなのではなくて、かつての夫が天皇に罰されることを恐れた額田女王。
いや、そういう風に考えるとドラマですねぇ。
でも、ご存知の方も多いでしょうけど、この二首はそんな艶っぽいものではありません。 単なる宴会での戯れ歌です(笑)
そう言い切ってしまっては身も蓋もないですが、この歌を詠んだ頃、二人はすでに人生の折り返し点を過ぎていました。 今さら昔の妻と艶聞を響かせたところで、大して面白くもなかったのではないでしょうか。 大海人皇子は天智天皇の皇太子候補の最右翼であり、額田女王は巫女としての能力をもって天皇に仕える女官でした。
蒲生野で行われた宮廷を挙げての狩りの後、宴席が設けられて、その場で大海人皇子が踊りを披露したとしましょう。 興に乗って少々傍若無人な舞を舞ったときに、その場に居た額田女王に大きく袖を振って意味深なサインを送りました。 受け取ったサインに額田女王は歌を詠むことで返したのだと想像できます。
そんなに袖をお振りになったら、野守に見られてしまうじゃないですか。 野守は、天智天皇の暗喩ですね。
歌を贈られたら歌を贈り返すのが礼儀とばかりに、大海人皇子もちゃんと詠み返しました。 どう少なく見積もっても、この時すでに四十路の坂を迎えて、老いの色を隠せないでいた額田女王に向かって、「にほへる妹(匂いたつように美しいわが妻)」とからかったことで、宴席はやんやの大喝采だったことでしょう。
まぁ、野守に見立てられた天智天皇の心中はどんなものだったのか度外視することにすれば、の話ですが・・・。
実はこれは、池田彌三郎という方の著作にある説の受け売りで、恥じ入るべきところなのですが、これ以上の解釈はないんじゃないかと思えるほどの楽しい説ですよね(^^)
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