2007年01月01日(月) |
20 茜さす 紫野ゆき |
茜さす 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや 君が袖ふる
紫草が生えている野原。 狩場を示す標が張り巡らせてある野原。 狩りをするあなたは、そこを馬で行きながら私に向かって袖をお振りになるなんて。 あれっ、あそこで番人が見ているじゃありませんか。
茜さす というのは、紫にかかる枕詞で、これといって意味はありません。 古代では何らかの意味があって「茜さす」と「紫」が関係付けられていたんだと思いますが、今となってはもう本来の役割がなんであったのかさっぱり分りません。
紫野ゆき 標野ゆき というのは、この時代の狩りを意味しています。 狩場には関係のない者を近づけないように、標=綱を張り渡してありました。 今でも注連縄というのがありますが、あれと同じく境界線を表すボーダーだと思って下さい。 結界といえば分りやすいでしょうか。 ここから先には立ち入るべからず、という意思表示ですね。 それは、天皇と皇族や貴族・群臣たちが狩りをするための場所を示しているのと同時に、関係ない者が入ってきて無用の事故を起こさないための配慮でもあったのでしょう。
古代の狩りは、時代を下った鷹狩りなどと違って、鹿を仕留めることが目的でした。 鹿の肉や毛皮ももちろん利用されたのでしょうが、一番の目的は疲労回復や回春の薬効がある角にありました。
また、女性たちは薬草を摘んで、やはり薬の原料としました。 ここで詠われている紫野は、紫草の生い茂るところという意味ですが、紫草の根を原料として衣料を染めると同時に、抗炎症薬を作りました。
女官を引き連れて薬草を採っている作者のそばを馬に乗って通りかかったかつての夫が、彼女に気付いて袖を振ってきたので慌てて周りを見回してみたら、案の定誰かに見られてしまいました。 ほら言わんことじゃないでしょ、あそこで番人が見ているじゃないの!
昔の妻を見かけて大らかに袖を振ってくる男と、それに慌ててドギマギしている女性と、コントラストも見事に一場面をスパッと切り取って見せてくれるようです。
袖を振るという行為は、古来招魂の意味があったそうです。 それ故に、昔の妻に袖を振るという行為は、今一度お前を我が手に抱かんという、禁じられた遊びのように感じられてしまいます。
と、いうことにしておきましょうか・・・(笑)
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