萬葉集覚書

2006年12月28日(木) 19 綜麻形の 林のさきの

綜麻形(へそがた)の 林のさきの さ野榛(のはり)の 衣(きぬ)に付くなす 目につくわが背


三輪山の神域の先にあるさの榛の情景が、くっきりと着ているものに染み込むほど、目に焼きついて離れない愛しい我が夫よ。




17,18の額田女王の長反歌に和する形で詠まれた、井戸王(いどのおおきみ)という方の歌です。
綜麻形というのは地名で、三輪という地名を地元の人間はそう呼んでいました。
三輪の辺りは、日本の揺籃期からずっと歴史に見える地名なのですが、それ以前からの地名が残るということは、この飛鳥・奈良の地に政権を立てた人々が他所からやって来た人間だということを如実に表しています。

古代のさらに前、いわゆる有史以前から、三輪の地は政権交代を何度も見てきたのでしょう。
新たな政権が樹立するたびに、新たに神域として祭られてきた三輪山は、創建すでに軽く二千年を越えて今に伝わる古社ですから、統一王朝という考えがなかった時代から、この地の鎮守であったわけです。
その当時からの地名が綜麻形だと思えば間違いないでしょう。

綜麻形という地名の由来と思われる話が、古事記に見えます。

この地に住む一人の乙女が、男の訪れのないまま妊娠してしまいました。
不審に思った両親が娘に問いただすと、夢に神々しい男性が現れてその光に包まれたらこうなったと答えます。
相手を確かめるべく一計を案じた両親が娘に言い含めて、糸を通した針を件の男性の衣の端にそっと刺しておきました。
翌朝になって両親が確かめてみると、糸は鍵穴から外へ繋がっていました。
その糸をたどって行くと、大神神社の神域で終わっていたという話なのですが、針についた糸を巻き取っておいたものを綜麻といい、その由来からこの地を綜麻形といったとあります。

三輪ではなく、古い古い地名でこの地を呼んで、さらに故郷を離れる悲しみを強調させていますが、額田女王の三輪山と井戸王の綜麻形。
うまく対応していると思いませんか。


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セレーネのためいき

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