2006年12月21日(木) |
13 香具山は 畝火ををしと |
香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より 斯くにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬を あらそふらしき
香具山は、畝傍山を妻として得ようと耳成山と争ったことがあったそうだ。 神代の昔からそういう諍いがあったのだから、現在でも妻を得るために男同士が争うのは無理のないことなのだなぁ。
この歌は中大兄皇子の長歌だとされています。 中大兄皇子が妻争いの歌を詠むと、すぐに額田女王をめぐって弟大海人皇子と争った故事が想起されますが、この歌が果たしてそれを暗に仄めかしているかというと、少しばかり疑問が残ります。 確かに大海人皇子との間に十市皇女という娘をもうけていた額田女王を妻として迎えた事実はあるのですが、そこに争いがあったとは思えません。 当時の婚姻形態は少なからず複雑で、誰かと子をなした女性が他の男との間に新たに子をもうけることは、特に珍しくもありませんでした。 それが同時進行で二人乃至それ以上の男の訪れを受けているというのなら、男達の間で争いが生じる可能性は否定できませんが、そこに時間的な差があるのなら、何ら問題のないことだったのでしょう。 今のキリスト教的倫理観に支配された感覚で判断すると、なんと退廃的な、倫理観に悖る女性だとの謗りを免れないでしょうが、
恋愛 = SEX
という公式が成り立っていた古代日本では、恋愛すれば子どもが出来るのは当たり前のことで、両親の元で暮らす女性は経済的な心配をすることなく子どもを育てることが出来たので、恋愛して子どもができることを悔いる気持ちなど微塵もありませんでした。 そこのところをキチンと理解しておかないと、万葉集をはじめとした日本の古典文学は理解できません。
千三百年以上も前の歌なので、この長歌の解釈もいろいろなものが存在しています。 一般的には畝傍山を女性と見立てて、香具山と耳成山とを男性と見立てて男性同士の妻争いと見るのですが、中にまるで反対の解釈をしている例があります。 折口信夫がその最たる例で、香具山と耳成山を女性と見立てて、雄雄しい畝傍山を女性同士で争ったと解釈しています。 当時の女性が、男をめぐって争わなかったとは言いませんが、これは極端に過ぎると思えます。
ま、いいんですけどね、表現の自由があるんだからどう解釈したって・・・(笑)
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