萬葉集覚書

2006年12月20日(水) 12 吾が欲りし 野島は見せつ

吾が欲りし 野島は見せつ 底ふかき 阿胡根(あごね)の浦の 珠(たま)ぞ拾はぬ


私が見たいと願っていた野島は見せていただきました。
けれど、底が見えないほど深いといわれる阿胡根の浦。
その阿胡根の浦の絶景はまだ見ていないので、そこで獲れるという真珠はまだ拾えていません。



牟婁の湯への道筋で、今の御坊市のあたりの海岸線から見える野島(一説に小島)を過ぎて、阿胡根の浦で真珠が拾いたいという、ちょっとわがままな女の要求のように聞こえてしまいますね。

阿胡根の浦がどの辺りを指す地名なのか、まだ特定は出来ていないのですが、現在の和歌山県の西部海岸線を北からずっと白浜へと下っていく道筋で、御坊より南にあることだけは確かだと思われます。
飛鳥から牟婁への道は紀伊の西海岸を南下する西ルートと、飛鳥から吉野を通って大峰山系や大台ケ原を過ぎ、熊野から新宮を経て行く東ルートとが考えられますが、役行者や修験者でもない限り、東のルートを採ることは考えられないので、大阪から海沿いに南下して行ったのでしょう。

ここで阿胡根の浦の真珠が欲しいと言っているのは、女性が装飾品としての宝石を欲する気持ちとは少し違います。
真珠は珠という字がつきますが、この珠と魂を重ね合わせて旅の無事を祈れるような具体的な「モノ」が有ればいいのに、と言っているわけです。
いわゆる言霊としての珠と魂ですね。
神に祈り、天皇の意を享ける中皇命ならではの歌といえるのでしょう。


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セレーネのためいき

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