rokoの日記
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 靖国神社に行ってみた。

Notebookで「靖国神社」について書きましたが、靖国神社へは行ったことがありませんでした。
あ、厳密に言うと、一度だけ行きました。
靖国神社の近くにある大学に通学していたネット友と会った時、ちょっとお散歩したんです(笑)

で、調べてみたら、遠いと思っていたのですが、電車の乗り換え無しで行けるし、閉門時間が午後7時となっていたので、昨日急に思い立って出かけてみることにしました。
息子に「行く?」って聞いたら「行く」との返事だったので、お供に連れて行きました(笑)。

地下鉄の駅から地上へ出て、ほんの少し歩くと「第一鳥居(大鳥居)」「靖国神社 社号標」が見えてきました。




「大村益次郎銅像」
大村益次郎は、近代日本陸軍の事実上の創設者で、
靖国神社の創建に力を尽くしたそうです。
この人、元々は長州のお医者さんなんですよ。
それなのに、最後は近代日本陸軍の創始者になっちゃうんだから、世の中わかりませ〜ん。

この銅像、国内最後の叛乱「西南戦争」の指導者・西郷隆盛の銅像が立っている上野方向を睨み付けているという噂があります。
でも、この噂嘘です。
大村益次郎像の建立は明治26年、西郷隆盛像の建立は、明治31年なんですから。






「第二鳥居」をくぐると「神門」があります。

神門の扉の両方に、大きな菊の花の紋章が輝いていました。
菊の花の紋章といえば、皇室の紋章です。
調べてみたら、「しばしば日本の国章に準じた扱いを受けている。法的には国旗に準じた扱いを受けている」そうです。
ホラ、パスポートにはありますよね。
一宗教法人が使っていいのかしら?




もう一つ鳥居があって、「拝殿」です。
お賽銭箱がおいてあって、普段はここでお参りします。


社務所や売店もあり、お守りやおみくじも置いてあります。
この辺は、普通の神社と同じですね(笑)

この裏に、小泉首相が参拝した「本殿」があります。
参拝する人じゃないと入れない・・・っていうか見えません。
「本殿」の後ろには「霊璽簿奉安殿」があり、霊璽簿が納められているそうです。
外れの方に、本殿に祀られていない人々の御霊と、世界各国全ての戦死者や戦争で亡くなられた方々の霊が祀られているという「鎮霊社」があるはずなのですが、気がつきませんでした。

さて、今度は、明治15年日本最初で最古の軍事博物館である「遊蹴館」です。




「遊蹴館」に入館するまえに、幾つかの像がありました。

  その中の一つ「パール博士顕彰碑」  
  パール博士って知っていますか?
  所謂東京裁判のインド代表判事で、
  裁判官の中でただ一人、被告団
  (つまり戦犯)を全員無罪とする
  意見書を出した人です。
  その人だけの銅像がある・・・
 
 要するに、靖国神社は、東京裁判を
 否定しているのですよね。







靖国神社の閉門時間は午後7時(夏時間)です。
でも、「遊蹴館」の閉館時間は午後5時半でした。
残り時間は、40分足らず、駆け足の見学になってしまいました(^_^;)
「遊蹴館」は勿論無料ではありません。
大人800円、大学生500円です。
でもねぇ〜、入場券を買うのは自販機、入場するのも自動改札なんです(笑)

写真撮影が許されているのは、玄関ホールだけでした。


海軍零式艦上戦闘機52型、榴弾砲(沖縄戦で使用された)・カノン砲とC56型蒸気機関車が並んでいました。





「遊蹴館」は、軍事博物館です。
ですから、明治維新・日清戦争から大東亜戦争終戦までを時代毎に解説していて、亡くなった人たちの遺品・遺書などが所狭しと展示されています。
順路最後の展示室のタイトルは「靖国の神々」
靖国神社の神さまは合祀されている人たちなので、遺族からの提供があった遺影が数多く並べてあります。
あまりに多すぎるので名簿があって、どこに展示されているかわかるようになっているのですが、その名簿を垣間見たら、「東条英機」の名前もありました。

「遊蹴館」のパンフレットでは、「遊蹴館」の使命は「近代史の真実を明らかにすること」となっていました。
でも「遊蹴館」のいう「近代史の真実」とは、
「近代国家成立のため、わが国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがあった」ということなのです。
つまり日本の侵略戦争であったことを、完全に否定しています。 

少ない時間で見た限りでも、幾つか気になった記述がありました。
ミッドウェイ海戦の解説の「痛恨なる敗北」という記述。
和平工作の解説の「日本はいち早く和平をしたかったが、アメリカがそれを引き伸ばした」という記述。
ポツダム宣言の解説の「ルーズベルトが(米大統領)無条件降伏ばかりにこだわったので、受諾する時期が遅れた」という記述。
「大東亜戦争」という言葉自体が、戦争目的を欧米帝国主義のアジア支配を排除するための「聖戦」であると定義づけているという印象が残りました。
「わが国の近代の歴史を正しく学びましょう!」って、嘘を教えちゃいけない!って感じですね。

「神池庭園」

明治の初めに作られて、全国有数の名園だそうです。
って、靖国にあれば、何でも「神」なのですね。








これで、見学は一応全て終わり、第一鳥居まで戻ってきました。
最後に気がついた第一鳥居の前にあった灯篭。

 下の台座に嵌っている何枚かの絵画、何だと思いますか?







全て、日本兵が勇敢に(?)闘っている姿でした。
どこにも、戦争の悲惨さを伝えるものはありません。
靖国神社は「遊蹴館」だけでなく、入り口から、既に戦争自体を肯定していたのです。
これで、何で「不戦の誓い」などができるのでしょう・・・。



2006年08月18日(金)
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