日々の泡

2010年03月22日(月) 空白の十数年…

 中途失明社の わたしが点字を読めるようになった頃、もうそれは二十年以上も前のことになるのだけれど、点字図書館には数少ない蔵書しかなかった。
翻訳本に関しては絶望的に少なかったし、国内のタイトルにしても、三島由紀夫、太宰治、川端康成などという、東大教授で盲聾者の福島智さんに言わせると「死んでしまいたくなるような」本ばかりが並んでいた。
読書が好きだったわたしが本から遠離ったのはそれだけが理由でもなく、どんどん落ちてくる視力と、慣れない職場生活と結婚の両立なんていうものたちと格闘していた時期だったからかもしれない。いずれにしても、わたしの読書生活には空白の十年間が存在する。
 やがてCDの録音図書が登場し、コンピュータ点訳が行われるようになると読書環境は劇的に変わった。そしてわたしの読書生活も復活したのだった。
その空白の十年間に素敵なエッセイストの著書が編まれていたことをつい最近になって知った。そして、その著書の素晴らしいことにわくわくと読書の幸せを感じる。
わたしは、この一年ほどで、須賀敦子さんの随筆を次々に読んでいった。
「ミラノ 霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」「ユルスナールの靴」…
それぞれの乾燥は少しずつ日記に書いて行きたいと思う。残念なことは、わたしが須賀敦子さんを知った時には、既に須賀さんが亡くなってらしたことだ。そう思うと、残された数少ない作品たちのひとつひとつが貴重に思える。
 
 そしてまた、その読書生活が始まった頃から十数年、わたしはテレビから遠離った。
それまでは、たとえわたしたちが画面が見えなくともテレビの音声は我が家のリビングに流れていた。
見える頃から馴染んでいた俳優たちの声を聞き分けてはドラマの画面をイメージしていたものだ。でもテレビドラマが少しずつつまらなくなり、満足な読書環境が整うと、もはやテレビのスイッチを押すことはなくなった。
最近、時々何の拍子にかテレビをつけてみると、偶然、いくつかのよいプログラムにぶつかった。
それをきっかけにテレビをつける回数が増えてきた。
知らないタレントや俳優が圧倒的に多くなり、見知った俳優たちは驚くほど歳をとっておじいさんおばあさん役を堂々と演じている。
まるでわたしはテレビ浦島のようだ。


 < 過去  INDEX  未来 >


茉莉夏 [MAIL]