2009年02月24日(火) |
眠るように息を引き取りました |
昨日、うちの歯科医院の郵便受けで届いた郵送物を確認していると、僕宛に一通の封書がありました。差出人はSさん。うちの歯科医院に来られているおなじみの患者さんでした。封書の封を開け、手紙を読んでみると、手紙には、Sさんのお母さんについて書かれてありました。
昨年、僕はSさんから相談を受けました。“自宅に母親が寝たきりになっているが、歯の調子が悪い。一度往診に来てもらえないか?”という内容の相談でした。かつてSさんのお母さんもうちの歯科医院に来院していたのですが、ここ数年姿を見かけることがありませんでした。“一体どうしたのだろう?”と思っていたのですが、Sさんによると自宅の庭先で転倒し、大腿骨を骨折。その後、認知症にもなり寝たきりの状態になっていたのだとか。
僕はスタッフの歯科衛生士と一緒にSさんの自宅に往診に出かけました。Sさんのお母さんは日当たりの良い自室で僕たちを待っていてくれました。予想していたよりも元気な姿で出迎えてくれました。
「本当だったら先生の所へ行かないといけないのだけど、こんな体なので出かけられないのですよ。来てくれて助かります。」 本当に認知症なのかと疑いたくなるくらいのきちんとした応対に驚きながらも、早速口の中を見てみると、欠けて鋭く尖っている歯が何本もありました。Sさんのお母さんの訴えは、この尖った歯が舌に触れ、痛いということだったのです。尖っていた歯はどの歯もむし歯が進行したために歯が破折したようでした。本来なら、むし歯を取り除き、場合によっては神経の処置を行いながら、詰め物を詰めたり、被せ歯を被せる。保存できない場合は抜歯しなければいけないケースだったのですが、僕は歯の鋭く尖った部分だけを往診用切削装置で削るだけにしました。
往診しなければいけない患者さんは体力が衰えています。体力のみならず免疫力も気力も衰えている場合が多いもの。通常の歯科治療は肉体的にも精神的にも非常につらいものがあります。本来なら良くないことかもしれませんが、往診での歯科治療は苦痛を伴わず、必要最低限の処置に留めかなければなりません。無理に本来の治療を行ってしまうと、治療により寝たきりの状態が更に悪化するリスクがあるからです。
ある歯科医の先生から聞いた話ですが、某病院の歯科口腔外科医が往診先の寝たきりの患者さんの歯の状態が酷く、何とか歯の状況を改善したく、病院へ搬送し治療を行ったのだとか。その結果、歯の状態は劇的に改善したそうですが、その後間も無くその患者さんは体調不良を訴え、亡くなられたのだそうです。歯科治療と死因との因果関係ははっきりしませんが、歯医者が治療を積極的に進めた直後に亡くなられたのは非常に皮肉です。寝たきり患者さんの歯科治療の難しさを物語っている一例です。
Sさんのお母さんの場合も僕は本人が訴えることを解決する処置以外は行いませんでした。すなわち、歯が欠け鋭く尖っていた部分だけを削り、舌に引っかからないようにすること以外の処置は行わなかったのです。Sさんのお母さんは僕の処置に満足され、頭を下げられました。
「これで何の心配もせず舌を動かすことができます。」
その後、Sさんからはお母さんに関して何の連絡もありませんでしたので、僕はその後順調に過ごされているものとばかり思っていました。ところが、今回届いたSさんからの手紙にはSさんのお母さんがつい先日亡くなられたことが記されていました。
先生には遠いところ、母のために往診に来て頂き有難うございます。あれから母は順調に過ごしていたのですが、昨年末から徐々に体調を崩し、先日、自宅で眠るように息を引き取りました。
人の一生はいろいろな最期があるものです。このようなことを書くと不謹慎かもしれませんが、自宅で眠るように息を引き取る亡くなり方は非常に幸せな亡くなり方のように思います。何も苦しまず、静かに自宅で亡くなられたSさんのお母さん。往診の時のSさんのお母さんの笑顔を思い浮かべながら僕は手を合わせました。合掌
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