2009年01月16日(金) |
僕はメールが嫌いです |
他人と連絡を取る方法にはいろいろとあります。直接会って話をしたり、手紙を書く方法。電話をかけたり、ファックスを送る方法。インターネットが普及した今ではメールが重宝されています。少し前までメールと言えばパソコンが無いとできませんでしたが、携帯電話のメール機能によりいつでもどこでも気軽にメールを送ることが可能となりました。若い人は起床してから寝るまで欠かさずメールを送り続けている人もいるようですし、大の大人も大阪府知事のように府政をメールで運営するようなケースもあるくらいです。
僕にとってもメールは今や必要不可欠な意思伝達手段の一つです。メールを送らない日はないくらいでが、メールをいくら使っても僕はメールが好きになれません。便利なツールだとは感じているのですが、心底好きなツールではないのです。
その理由は単純です。メールは文字、テキストしか書かれていないからです。人間同士が意思疎通をはかる場合、目的である伝えたいことの裏側には様々な感情、気持ちがあるはずです。冷静沈着を装っていても怒り、喜び、悲しみ、諦めなどの感情、気持ちに左右された精神状態に支配されているのが人間です。人間は、言葉では表すことができない空気、雰囲気というものを発しているはずなのです。 面と向かって話をしていれば、そのあたりの状況はわかります。同じ言葉を話していても、話す相手の口ぶり、顔の表情、態度、体の動きなどから伝えたい言葉以外のことも何となく伝わるものです。 ところが、メールでは言外の心情、空気を込めることができません。最近は顔文字、絵文字などを含めて書く場合も多いようですが、実際のメール送信者の気持ちをメールの文字に込めることは相当至難の業といっていいでしょう。果たして、それが良いことなのか?
僕がアナログ人間であると言われればそこまでかもしれません。単純な予定、確認などを行うツールとして用いるならメールは非常に有意義なものです。ただ、人と人との会話の間で成り立つぬくもり、信頼感、愛情などはメールで得られるものか?僕は常に疑問に感じます。普段、顔と顔を見合わせて話をしている中でのメールのやり取りは許せるものの、単にメールだけに終始する意思伝達方法に、僕はいつまで経っても違和感を取り除くことができません。僕はメールが好きになれません。僕はメールが嫌いです。
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