歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2008年09月04日(木) 首の傷痕の理由

以前、僕が某病院の歯科口腔外科研修医だった時の話です。

当時僕が研修をしていた病院では、まず研修医が問診を取り、患者さんの主訴を聞き、それを指導医に伝えて指導医が診査、診断し、治療方針を立てるというシステムをとっていました。
ある時のことでした。むし歯ができて痛いという患者さんが来院されました。僕はいつもと同じように患者さんの話を聞きながら問診をとっていたのですが、患者さんを診ているとあることに気がつきました。それは、患者さんの首筋に一筋の傷跡があったからです。その傷跡は首の正面付近から左側面にかけてあったのです。カルテにはこのことを記載はしましたが、患者さんにこのことを尋ねようとした時、この日の指導医O先生と交代となりました。

O先生は患者さんの口の中や顔全体を診ながら、即座に治療方針を立て、むし歯の治療の説明をし始めました。患者さんはO先生の説明を聞き、治療方針を理解し、指導医のもとで治療を始められました。

この日の診療が終わった時のことでした。O先生が僕を呼びました。O先生曰く

「今日診た首に傷のある患者、覚えている?」
「はい、覚えています。かなりの傷でしたので非常に印象的でした。」
「あの傷、ただの傷ではないね。おそらく何らかの刃物で切られた痕だろう。どんな事情があったのかどうかわからないけど、堅気の人ではないね。」
「普通の方のように思ったのですが。」
「一見するとそうだけども、あの首の傷は何らかの修羅場で負ったものだよ。あの人、ただの人ではないよ。」

実は、医療において首に傷が残るケースがあります。歯科口腔外科の場合、口腔癌の手術がこれに相当します。口腔癌の手術の場合、単に癌の場所だけを外科的に切除するだけではありません。転移の可能性がある場合、首のリンパ節を全て取ることがあります。これを頸部郭清(けいぶかくせい)と言います。頸部郭清の場合、首の側面にメスを入れ、皮膚を薄く剥がすようにしながらリンパ節を探し当て、取り除くのです。一見簡単そうに思えますが、この処置は非常に困難を極めます。なぜなら、頸部のリンパ節がある場所には、総頸動脈や迷走神経といった非常に大切な動脈、静脈、神経が集中しているからで、少しでも気を緩ませると命に関わったり、手術後麻痺が残り、深刻な後遺症が残るのです。そのため、頸部郭清には慎重に行わないといかず、結果として時間がかかるのです。


頸部郭清ですが、手術後なるべく傷跡が残らないようなメスの切開が行われます。といっても、手術後どうしても傷跡は残るのですが、あまり目立たないような位置に傷が残るような配慮がされるのです。
他にも首の手術の場合、メスの切開は傷が目立たないような位置で行われるのですが、O先生と僕が診た患者さんは、こうした配慮がない、医学的に根拠が無い傷だったのです。ということは、首の傷は医学的な手術によってできたわけではない。

常識的に考えると、医学的な理由以外の首の傷は、考え難い。何らかの特殊な事情によって生じたと考えるべきで、その可能性として最も高いのが何らかの修羅場で首に傷を負ったのではないかということになったのです。

この患者さんはO先生を信頼し、O先生が主治医として治療をすることになりました。何度か治療をする間に、O先生はこの患者さんに首の傷の真相を尋ねたそうです。患者さんの回答はO先生がにらんだとおりでした。何人かのチンピラに囲まれ襲われた時に、相手の刀で切られた痕だったそうです。

実に怖い話でした。


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