歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2008年09月01日(月) 名前を間違われたくない人

歯科医院では、保険診療の場合、初診時にかならず患者さんが持参した保険証を確認します。最近の保険証は一人単位のカード式のものが増えてきましたが、カード式にせよ従来型のものにせよ、患者さんに関する個人情報がいろいろと書かれています。健康保険組合の名前、番号、患者さんの登録番号、患者さんの名前、性別、年齢等々。これらの情報をカルテに写してから診療に移るのが常です。

さて、保険証で確認するとはいえ、いつも気を遣うことの一つに患者さんの名前があります。何度も診ている患者さんや常識的に読むことができる名前の方の場合はいいのですが、中には名前を読み間違えてしまうような名前の患者さんもいます。そのような場合、僕は必ず患者さん本人に名前を確認することにしています。確認した後、カルテにフリ仮名を振るようにします。本当ならば一度聞いた名前は直ぐに覚えなければなりませんが、頭の悪い僕は一度聞いただけでは覚えられない名前もあるのです。そのため、自分が覚えるのに自信がない名前の場合、必ずフリ仮名を振るようにしているのです。

僕がこのようなことをする理由には名前に対するこだわりがあるからです。それは、誰でも自分の名前を間違えられることは非常な失礼に当たるのではないかと思うからです。自分を表す名前を間違って言ってしまうということは、相手の全人格を否定してしまうように思えてならないのです。

僕自身、他の方の名前に対して正確に言おう、記そうと思うからでしょうか、自分の名前を間違って言われたり、記されたりすることには非常な違和感を覚えます。僕はこれまで自分の名前を何度と無く間違って呼ばれたり、書かれたりしたことがあるのですが、時には思わず感情的になってしまったことがあります。
僕の本名を考えれば、間違いやすいだろうなあとは思います。しかし、自分が相対する人に対して名前を間違って言ったり、書いたりされてしまうと、何だか見下されているような気がします。決して良い気分にはなれないのです。

こんな僕は人格者にはなれないかもしれません。かつて、有名なバイオリニストでYehudi Menuhinという人がいました。この人の名前の発音がエフディ・メニューヒンなのかユーディ・メニューインなのか、はたまた他の発音が正しいのか?本当のところがわからず、ある方が本人に尋ねたそうです。そうするとYehudi Menuhinは

「どちらでも構いません。どちらでも私であることには間違いないのですから。」

僕も見習いたいものです。


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