| 2008年05月19日(月) |
いい加減なことが許されなくなった時代 |
先週末、ある送別会に出席しました。今年3月、長期間にわたって地元歯科医師会関係の仕事のために尽力して下さった嘱託歯科医の先生が辞められたのですが、今回の送別会はその先生の功績を称え、送別の意味での催しだったのです。参加者は年長者が多く42歳の僕が一番年下という集まりでした。僕は下っ端らしくカメラ係りとして参加者の写真を撮っておりました。トホホホホ・・・・。
それはともかく、送別会が終わってから、地元歯科医師会で世話になっている先生の一人T先生と話をしながら帰宅したのですが、その中でT先生が興味深いことを話されていました。
「僕が某病院の研修医時代だった頃、上司の先生の一人がね、よく近くの交番に通っていたことがあったんだよ。」 「交番に通っていたですって?その先生は何か悪いことをし続けていたのですか?」 「そうじゃなくてね、その先生と交番のおまわりさんはね、友達だったんだよ。その先生は仕事が終わって家に帰る前に、友達の顔を見る感じでしばしば交番に立ち寄っていたのだよね。」 「何だか公私混同のような感じもしないでもないですが。」 「今の時代の感覚ではそうだろうね。いくら友達だとはいっても相手の警察官は勤務中。勤務中に友達の相手をするのは問題だろうと思うけど、当時はそうではなかったんだよ。 しかもね、たまに僕の上司は一升瓶を持ってその交番に行っていたんだよ。」 「それってやばくないですか?」 「当時でも思いっきりやばかったよね。正直言って交番のおまわりさんも大変だったと思うけど、上司の話では一緒に一升瓶の日本酒を呑んで話をしていたそうだよ。」 「信じられない話ですね。」 「驚くべきは帰る時だよ。いい加減酔いがまわって帰るのだけど、上司はね、車を運転して帰っていたんだよ。それも、交番の目の前に止めていた車でね。車に乗って帰ろうとすると、その交番のおまわりさんがね『気をつけて帰ってください』と言って見送っていたというのだから。」 「今の時代では絶対に許されないことですよね。」 「当時でもこれは許されないことだと思うけど、それでも何か訳がわからないままと通っていたんだよ。」 「そうなんですか?」 「飲酒運転で数多くの人が亡くなって社会問題化して以来、飲酒運転行為に対して厳罰化の傾向にあるよね。それは僕は当然だと思うよ。いくら当時でも、僕の上司が行っていたことは許されるべきではないことだと思う。そう思う反面、僕はね当時の環境をうらやましく思うこともあるんだよ。」
「実にいい加減なことを僕の上司も交番の警察官も行っていたわけだけど、結果オーライだった。危ない橋を渡っていたとはいえ、微妙なバランスのもとに成り立っていたと思うのよ。白黒はっきり決めるという意味では完全に黒の行為だけど、お互いがいい加減に、グレーゾーンの感覚で行っていたことがそれなりのバランスを保っていた。当時は、世の中でこれと似たようなことが数多くあったのじゃないかな?その背景には暗黙の了解や人と人同士のあうんの呼吸があって、そんなルールの範囲内であれば認められる雰囲気が世の中にあったのだと思う。ところが、今の時代は全てが白黒はっきりしないといけなくなった時代。いろいろなことが明らかとなり、日進月歩で技術革新が起こり、インターネットが普及し誰もが情報を気軽に手に入れられる時代となった。今や小学生さえ携帯電話を持つ時代なんだけど、我々人間は、時代が便利になるにつれ、いい加減に済ますことができない心理状態に追い込まれているように思うのよ。勤務中の警察官が一般市民と一升瓶を呑んでいて、その市民の一人の飲酒運転を黙認できたという行為そのものは許されなかったことだとは思うけど、そうしていても何とか世の中が回っていたという時代。何だか懐かしく思うのは僕だけだろうかと思うのだよね。いい加減さが許された時代に一種のノスタルジーを感じる時があるよ。」
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