2007年12月06日(木) |
”誰のおかげで飯を食っているんだ!”考 |
先日、嫁さんと話をしていると、ママ友達の一人が旦那さんとケンカをしたという話を聞かされたというのです。きっかけはほんの些細なことだったようですが、言い合っているうちにエスカレートし、旦那さんの口から
「一体誰のおかげで飯を食っているんだ!」 と啖呵を切られたようなのです。
おそらく、“誰のおかげで飯を食っているんだ!”と言う背景には、自分が稼いでいることを前面に主張したい、自分が稼いでいるんだから、偉そうなことを言うな、自分の言うとおりにすればいいんだというようなことを言い含めたいことでしょう。
僕は考えてみました。我が家では“誰のおかげで飯を食っているのだろう?”かと。
僕は歯医者として患者さんの治療に当たっていますが、治療に対してそれなりの治療報酬を患者さんから頂いています。うちの歯科医院では保険診療がメインですから、様々な治療に対しては点数が決められ、その点数の10倍を治療費として患者さんと患者さんが所属する保険組合から頂いているわけです。保険組合は患者さんが毎月掛け金を支払っているわけですから、僕が稼いでいる治療報酬は患者さんがあってこそ初めて稼ぐことができるものです。 “一体誰のおかげで飯を食っているんだ!”と言われれば、僕の場合は、まずは“患者さんです”と答えざるをえないでしょう。
飯を食うために稼ぐ場所としては歯科医院ですが、歯科医院では歯医者一人では切り盛りすることはできません。僕の周囲にいるスタッフの力無くしては歯科医院は機能しないのです。歯医者は患者さんの治療をすることはできますが、治療の補助、受付業務、歯科衛生士であれば歯磨き指導など患者さんに対して適切な医療サービスを提供するには歯医者だけでは無理な話なのです。 そういった意味では、“一体だれのおかげで飯を食っているんだ”!“と言われれば、僕は”スタッフのおかげです“とも言わなければいけないでしょう。
僕は歯医者として仕事をしていますが、歯医者として仕事をしている間、家を切り盛りしてくれるのは嫁さんです。嫁さんは僕が起きる前に朝食の準備をしてくれます。昼休憩の際、自宅に戻ると昼食ができています。そして、一日の診療が終わり帰宅すれば、晩御飯を作って待っていてくれます。仕事が終わり、自宅に戻った時に食事が出来ている。これは非常に有難いことです。どんなに仕事で疲れていたとしても食事がすぐに出来ている状態というのは精神的に安心できるもの。これを毎日やってくれているわけですから、僕は嫁さんには頭が上がりません。 この意味において、“一体誰のおかげで飯を食っているんだ!”と言われれば、僕は“嫁さんのおかげです”と答えることになるでしょう。
僕は独り身ではありません。嫁さんだけではなく、両親と二人の子供がいます。家族は社会の最小単位ですが、僕は家族の存在なくして僕は生きていくことができません。歯医者として仕事に精を出すことができるのは、まさしく心の拠り所としての家族があるからこそです。
僕にはこれまで僕を育ててくれた数々の恩師、先生、先輩がいます。また、僕とともに同じ時間を過ごしてくれた友人、知人、後輩たち。彼ら、彼女らのサポートが無ければ、今僕は歯医者として何とか生活をしていくことができるといっても過言ではありません。 “誰のおかげで飯を食っているんだ!”と言われえれば、僕は彼ら、彼女らの存在を無視することは到底出来ません。
これらのことを考えれば、少なくとも僕は、平気で“誰のおかげで飯を食っているんだ!ということは言えません。いくら感情的になったとしても、僕は口が裂けても、腹が裂けても言えない言葉です。
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