2007年11月26日(月) |
メガサイズ食品の流行を憂う |
今から20年前、僕が通っていた某歯科大学の近くに古い飯屋さんがありました。飯屋さんの周囲には某歯科大学だけでなく複数の大学があったため、お客といえばどうしても学生が中心。20歳を中心とした学生は、金は無いが食欲はあるという連中が多いのが特徴ですが、この飯屋さんではそんな学生のために安価なメニューがたくさんありました。安価ではあるものの、味もそれなりの味付けであったため、この飯屋さんは学生からは大変な人気で、食事の時間帯や夜の時間帯ではつねに大勢の学生でごったがえしていたものです。当時学生だった僕も何度か友人とこの飯屋に足を運び、出された料理に舌鼓をうっていたことを昨日のことのように覚えています。
さて、この飯屋さんには名物と言われる特別メニューがありました。そのメニューとは、超大盛りです。チャーハンや焼きソバ、丼物などが大皿に溢れんばかりに盛られて出てくるのです。なかなか言葉で表せないのですが、一目見た途端、誰もが度肝を抜かされるくらいの大盛りなのです。いくら、食べ盛りの学生といっても一人で全てを食べてしまうのは無理ではないかと思われるくらい、数人で分けて食べてもちょうどいいくらいの超大盛り。おそらく今話題のギャル曽根くらいしか完食できないのではないかと思いますが、果敢にもその超大盛りに何人もの学生がチャレンジをしておりました。完食するのは難しいとは思っていても、超大盛りを一度はお腹の中に入れてしまいたい。食べた後動けなくなるくらい満腹になってみたい。そんな欲求を駆り立てさせるメニューであったのです。
その後、何人かの知人から話を聞いたり、テレビ、ラジオ番組でチェックをしていると、どうも全国各地にこのような超大盛りメニューを名物にしている飯屋さんが存在していることがわかりました。おそらく店の経営から考えれば元を取れているのかどうかは甚だ疑問なところがありますが、一種の客寄せメニューとして定番メニューになっているかもしれません。少なくとも、大食いをしたい、大食いに対する潜在的欲求が世の中、特に若い世代を中心にした人たちの中には確実に存在するのは確かなようです。
このことに気が付いたコンビニ産業や外食産業では、最近、メガサイズ食品を市場に投入し、人気を博しているようで、このような記事がありました。昨今のメタボリックシンドロームに対する反動ではないでしょうが、健康を考えるよりも腹一杯食べてみたいという欲求にコンビニ産業や外食産業が目をつけ、商品化が相次いでいるとのこと。
僕自身、かつて腹一杯食べてみたいという時期を過ごしてきただけに、この脱・メタボリックシンドローム的な商品に対して全面的に否定しようとは思いません。食べられる時期に腹一杯食べられる経験は幸せなことではないとは思います。
そう思う反面、僕にはこの傾向がどうしても素直に受け入れられないところがあります。世界には毎日の食事に苦労している人が数多くいます。貧困のために飢えに苦しんでいる人が大勢います。また、格差社会の問題が深刻になってきた日本においても日々の食事に四苦八苦している人が少なくありません。人間にとってなくてはならない食事が毎日満足に取ることができない、当たり前の食事ができない人たちがいるのです。 このようなメガサイズ食品を見ていると、僕には食事の有難さを軽視していないかと感じざるをえません。メガサイズ食品を出せるということはどこかに食料を搾取されている、犠牲にしている国、地域があるのではないか?当たり前にできる食事の有難さを認識し、食事に感謝する気持ちを忘れてはいないかと思わざるをえないのです。
これまで何回か取り上げてきましたが、食育基本法という法律があります。実際の文面に関してはリンク先を読んで頂きたいのですが、書いてあることは非常に根本的な、当たり前のことが書いてあるのです。どうしてこのようなことを法律にしないといけないのか?食育基本法制定当時、僕は疑問に感じたのですが、このメガサイズ食品の流行を見るにあたり、やはり日本人は食の有難みを忘れているのだなあと改めて感じざるをえません。今後の日本の将来を憂います。
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