歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年11月06日(火) 患者に”大丈夫”と言えるように

歯医者に限らずどんなお医者さんでも言えることですが、最近は治療を行うに前、どんな状態でどんな治療をするのか細かく説明する傾向にあります。以前であれば、“拠らしむべし、知らしむべからず“に代表されるように患者さんは事前の何の説明がなくても担当医を無条件に信用すればそれで大丈夫だということではあったのですが、患者の権利というものが世間に浸透してくると、医者側も患者の権利を尊重するようになってきました。
患者の権利の一つに知る権利というものがあります。自分が望めば、受けている医療情報を知ることができる権利であるわけですが、医者側はそんな患者の知る権利に対し、積極的に医療の情報提供をしなければいけなくなってしまいました。
一方、治療前の医者側の説明が不足である場合、治療後に何らかのトラブルが生じれば、それは医者の責任であるということで、患者さんの中には訴訟に訴えるケースも少なくありません。医者側はそうした患者さんの傾向に対し落ち度がないようにこれまで以上に念入りに説明をしたり、紙に書いたものを渡したりするようにし、積極的な情報公開を努めるようにしています。

このこと自体僕は悪くはないとは思うのですが、その反面疑問に思うことがあります。
例えば、何らかの手術を受ける時を考えてみます。手術を受ける際には、必ず手術に対する説明を事前に担当医から時間を取って受けるのが常なのですが、その際、手術の成功率の話も出てきます。すなわち、手術をすることに対し一定のリスクもあることを受けるのですが、手術に臨む患者さんにとって、この説明は非常に不安を駆られるものです。例え、手術の成功率が90%であったとしても残りの10%に自分が入ったらどうしよう?実際の手術の成功率はほぼ確実であったとしても、患者さんは常にマイナス思考をしがちなもの。数字で詳しく説明を受けること自体は問題がないものの、具体的な数字を見せられることによって余計な心配、不安で頭が一杯になるものです。

僕はこれが本当にいいことなのだろうかと思うのです。事前に手術の成功率、失敗率をあげることは医療の情報公開としては仕方のないことだろうと思います。これをしておかないと、万が一手術がうまくいかず、後に障害が生じたり、死に至るような場合、患者さんは医者の責任を問うことになります。賠償や訴訟のことを考えると、事前にこういった数字の説明は医者の責任を問われる状況から考えても仕方のないことだろうとは思いますが、本当に患者さんが必要なのは、詳細な数字の説明なのだろうかと思うのです。患者さんは自分の悪いところを治したい、元気な体を取り戻したい。そのために勇気を出して手術を受けるのです。そのような患者さんには客観的な手術の説明は必要ですが、それだけでは足りないと思うのです。

そこで思い出すのが、僕が研修医時代に世話になったH先生です。H先生は歯科口腔外科の専門医として数多くの患者さんの手術を執刀されていたのですが、手術前にはやはり患者さんや患者さんの家族に対し手術の説明をされました。その説明は懇切丁寧なもので、医学的用語を使用せずわかりやすい言葉で、時には絵を描いたり、たとえ話をしながら説明されていました。先に書いた手術によるリスクのことも説明されていたのですが、最後に必ず言われていた言葉がありました。

「僕と一緒にこの困難を乗り切っていきましょう、がんばりましょう。」
そして、別れ際には患者さんの肩を叩きながら

「大丈夫」
と囁かれていたのです。

正直言って、手術がどのような結果になるかわからない常態で“大丈夫”という言葉を発することはできないものです。いくら知識、技術、経験が豊富なH先生ではありましたが、一寸先は闇という言葉もあります。手術中何が起こるかわかりません。手術が100%成功するかどうかを断言するのは困難です。そのことを百も承知のH先生がどうして患者さんに対して“大丈夫”と言えるのか?

H先生は言います。
「患者さんは僕を信用して自分の体を預けてくれている。その信頼に答えるためには全身全霊をこめなければならない。“大丈夫”という言葉には自分が常に一緒についていますよと患者さんに励ます意味がある。一緒に病気と戦いましょう。そして、一緒にこの困難を乗り切りましょう。これができて初めて患者さんとの間に信頼感が生まれるんだ。」

僕も歯医者になって17年目ですが、患者さんに対しなかなか大丈夫と言える自信はありませんが、少なくとも、患者さんが安心して口の中の治療を任せてくれるようになりたいと思っています。非常に難しいことではありますが。


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