| 2007年09月18日(火) |
急所を突く言葉の難しさ |
昨日は僕が所属する某アマチュアオーケストラの定期演奏会がありました。僕も参加してきたわけですが、定期演奏家そのものはいつも以上に盛況でした。担当者の話によれば、演奏会場の開場時間前にはお客さんが長蛇の列を作っていたそうで、予定よりも早めに開場したとのこと。開演時間も10分ほど遅くなり、いざ舞台に上がってみると、大人数が入る会場はほぼ満員でありました。 実際の演奏はというと、誰もが精一杯、自分たちの力をフルに発揮した演奏ではなかったでしょうか?演奏会終了後、打ち上げパーティーの場で演奏の録音を聴きましたが、技術的にはプロの演奏には及ばないものの、熱気に満ち溢れた演奏だったように感じました。
ところで、打ち上げパーティーの場でのことです。団員は皆当日の演奏会の感想や音楽の話で盛り上がっているところで、ある団員さんが一人落ち込んでおりました。ある木管楽器の演奏者だったのです。その団員さんは演奏会の曲目の中のある楽章で突然音が出なくなってしまったのです。普段全く問題なく演奏できていた箇所であったのに、演奏会本番に突如音が出なかったのです。この箇所はその団員さんのソロのような場所でもあったので、音が出なかったことはごまかしきれず、オーケストラ団員のみならず、聴衆にもはっきりわかったところでした。 僕を含め、オーケストラの団員や指揮者の先生は誰一人としてその団員さんを責めたりしませんでした。演奏会には思いも知れないハプニングというものがつきもの。今回の団員さんのようなハプニングというのは決して珍しいものではないのですが、その団員さんにとっては非常にショックだったようで、打ち上げパーティーの場でも元気を取り戻せずにいました。 多くの団員がその団員さんに声を掛け、励ましていました。僕もその団員さんに声を掛けた一人だったのですが、改めて難しいと感じたのは、人の琴線に触れる言葉をかけることの難しさです。
僕の祖母がしばし口にしていた言葉の一つにこんなことがありました。
「薪を割る時、木の節を斧でわらないと木はきれいに割れないものだよ。」
今の時代、薪を割るようなことはあまりないことではありますが、一昔前、どんな家庭でも薪を割ることが日常の雑事の一つでした。薪を割るのは単純な作業ではあるのですが、何も考えずに割るとうまく割れないものなのです。薪にある節に当てるように斧を当てないときれいに薪を割ることができない。薪を上手に割る人は経験上、そのことをよく知っていたのです。 祖母はこの例えをよく人に対して声をかける時の例えによく用いていました。いくら美辞麗句を唱えていても、人の心の琴線に触れるものでなければ意味がない。他人が悩んでいる点を冷静に分析し、最もその人にとって将来にプラスになるかを考えた言葉をアドバイスする。 非常に難しいことです。悩んでいる人の肉体的疲労、精神状態、性格などを考慮しながら、タイミングを計り、急所を突くが如く声を掛ける。 本当の悩んでいる人の気持ちを理解しないとできないことでしょう。これができれば相当の大人だろうと思うのですが、一小市民である歯医者そうさんとしては、今回の団員さんに対し、将来を見据えた声を掛けられたかどうかはなはだ疑問です。
まだまだ自分の未熟さを痛感している今日この頃です。
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