歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年08月22日(水) 指の無い患者

歯医者にとって、患者さんが診療室に入ってこられた時は常に目を光らせなければなりません。何気ない患者さんの所作、ふるまいなどが思わぬ体の生理状態を表していることがあるからです。
歯医者は患者さんの口の中や歯の治療を施すわけですが、治療中、患者さんの体に何か異変があれば、それに対しきちんと対応できるように常に態勢を整えなくてはなりません。ところが、実際に治療中に突然患者さんの体に異変が起こると、いくら歯医者といってもあせってしまうもの。適切な対応ができず、後手にまわってしまう可能性があります。“何か事があっても落ち着いて行動できるようになるためには、普段からの心がけが一番です。治療を始める前に、患者さんの体の状態や言動をあらかじめ観察しておくことは、いざと言う時のための心の準備のために必要不可欠なことだといえるでしょう。

治療前から何気なく患者さんの様子を見ながら治療を始めるわけですが、治療している最中、思わず驚いてしまうこともあります。
先日のことでした。Yさんという患者さんの治療を行うにあたり、レントゲン写真を撮影する必要に迫られました。僕は患者さんにレントゲン写真を撮影することを話し、レントゲン写真を撮影しようとしたのです。
通常、歯科におけるレントゲン写真は口の中に入れて撮影するタイプであるデンタル型のものと、口全体を撮影するパノラマ型の二種類があります。最も頻繁に行うタイプのレントゲン写真撮影は、デンタル型のフィルムを用いたものです。このフィルムは普通、撮影したい歯の裏側にフィルムを位置決めし、撮影するのですが、位置決めをした後、フィルムがずれないように患者さんの指で固定してもらいます。
通常、上の歯の場合は、左側の歯は右手の親指で、右側は左手の親指、前歯はケースバーケースでどちらかの親指でも構いません。下の歯の場合は、左側の歯は右手の人差し指で、右側は左手の人差し指で、前歯はケースバーケースでどちらかの人差し指でフィルムを固定します。どうして上の歯の場合は親指を、下の歯の場合は人差し指を用いるかは、僕自身よくわかりません。大学の放射線学の講義で習ったことをそのまま実践しているだけです。上の歯であろうが下の歯であろうが左右どちらの歯のあろうがどの指でフィルムを押さえても構わないように思いますが、長年の習慣で患者さんには上記のような指示を出していますね。
歯医者によってはインジケーターといってある種の固定装置を用いてフィルムを固定する場合もあり、その場合は患者さんの指は必要としない場合もあります。
うちの歯科医院ではデジタルレントゲン撮影装置を使っていますので、コードつきのCCDセンサーを使用しているのですが、それでもこのセンサーの固定の仕方についてはフィルムと原則は変わりません。患者さんの指で固定してもらい、レントゲン写真撮影をしています。

Yさんは右上の奥歯のレントゲン写真撮影を行う必要がありました。そこで、CCDセンサーを固定してもらうと思い、僕はYさんの左親指でセンサーを固定してもらうと言おうとしたのですが、僕は直ちに止めました。
その理由は、Yさんの左親指がなかったからです。僕はとっさに左手の人差し指でセンサーを抑えてもらうように伝え、何とかレントゲン写真を撮影することができたのですが、後日、僕は治療の合間にYさんに左手親指のことを尋ねてみました。Yさん曰く

「10数年前、草刈機で草を買っている時に過って指を切断してしまったのですよ。」
とのこと。

うちの周囲は田畑の多い田園地帯で、多くの人が農業を営んでいます。農作業に勤しんでいる人が多いわけですが、こうした農作業中のトラブルの中に指の切断事故が少なからずあるのです。うちの歯科医院に来院する患者さんの中にも何人か指の一部がない患者さんがいます。親指であったり、人差し指であったり、中指であったりするのですが、ほとんどの人が農作業の中での仕事中に指を切断してしまったそうなのです。指の切断の場合、少しでも早く専門の医者に接合してもらえれば指が元に戻る場合が多いのですが、近くにそのような専門家がいないことから手遅れになり、指が無いままの人がいるのです。
僕自身、長年当地に住んでいますが、指が無い人が意外と多いことに気がついたのは、歯医者で実際に仕事をしだしてからです。それもレントゲン写真を撮影しようと、レントゲンフィルムを固定してもらおうと患者さんに指で固定してもらおうと言おうとした際、指が無い患者さんが少なからずいることを実感したのです。

ただし、Yさん、あくまでも前向きです。

「まあ、指の一本なくてもちゃんと生活していけますからなあ。今ではもう慣れましたよ。よく、やくざが何かへまをした時に小指を詰めますやろ。一見すると怖いように思うものですけど、小指なんてね、普段使うことはほとんどない指なのですわ。小指がないことを自慢するようなやくざがいるみたいですけど、もしそんな奴がわしの前にいたら、わしは自分の親指見せて言いますわ。『わしみたいにできるんか、お前は!』なんてね、ハッハッハ・・・。」

Yさんの言うことを聞いていると、確かに小指の無いやくざは面目丸つぶれかもしれません。


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