歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年07月11日(水) 絶壁は生涯絶壁か?

先週の日曜日、僕はある講演会を聴講しに出かけたことは既に書きましたが、その講演会へ行く途中のことでした。電車に乗って座り、何気なく前を見ているとどこかで見たことのある顔の持ち主が僕の対面に座っているのが見えました。

“一体誰だっただろう?“
と思い、頭を巡らせていると思い出しました。小学生時代の同級生H君だったのです。当然のことながら、僕はH君に声を掛けると

「こんな電車の中で会うなんて奇遇だなあ」
と言いながら、しばらくの間話をしておりました。小学生時代に仲の良かったH君でしたが、中学校以降はお互いに別の中学校、高校、大学と進学し、ほとんど付き合いはありませんでした。直接H君と出会い、じっくりと話をするのは30年ぶりぐらいでしょうか。それでもどこか小学生時代の面影はあるもので、僕はH君の姿を見間違えることはなかったのです。

「そうさんはあまり変わっていないなあ。」
「おいおい、小学生の時からもう30年近く経っているんだよ。その時と同じというのであるのは、何にも成長してみたいじゃないか。」
そんなことを言いながら、僕はH君には“あまり変わっていないなあ”とは言えませんでした。その訳はH君の頭の髪の毛がすっかり薄くなってしまっていたからです。小学生時代のH君は髪の毛はそれなりに多かったはずですが、30年近く経った今では、頭頂部は地肌が見えてしまっていました。髪の毛の生えぐあいは個人差がありますが、それにしても同い年でありながら、頭頂部の頭の髪の毛の少なさを見ていると、

“結構ストレスや苦労が多いのだろうか?“
と心配してしまいます。

そんな彼の容貌で一つだけ変わっていないことがありました。
それは、後頭部のいわゆる絶壁。小学生時代、髪の毛が短かったH君ですが、髪の毛が短いということは頭の骨格も目立つもの。彼の後頭部の絶壁も相当目立っていました。そのせいでしょうか、クラス仲間から“絶壁”というあだ名をつけられていたH君でしたが、H君は気にするどころか、自らの絶壁を自慢し、自信を持っていました。
正直言って、人様の体のことを馬鹿にすることは褒められたことではありません。決してそのようなことをすべきではないのですが、H君自身は自分の後頭部の絶壁を悔いるどころか、それを自分の個性としてプラス思考に考えていたのです。

そのH君ですが、30年経過した今でも彼の絶壁は健在でした。当時よりも髪の毛の長さは長くなっていたH君ですが、髪の毛の本数は激減。そのため、彼の後頭部の絶壁は健在でした。
僕は、“絶壁頭の人は一生絶壁頭のままなのだろうか?”という素朴な疑問を持っていたのですが、少なくともH君を見ていると絶壁頭は一生涯絶壁である続ける可能性が高いように思いました。

絶壁頭とは言っても、H君の頭の良さ、明るいキャラクターは健在です。むしろ、30年を経過してもむしろパワーアップした感さえあります。H君を見ていると、頭の形と脳の機能とはあまり関係がないようです。

そんな僕の気持ちを察してか、H君は言いました。
「頭の髪の毛が薄くなってから後頭部の絶壁が余計に目立つようになったよう。これで頭を緑色に塗れば四角スイカだな、ハッハッハ・・・。」

H君のキャラクター、是非見習いたいものです。


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