2007年07月06日(金) |
歯の一本くらい無くなってもいいじゃないか |
先日、僕はうちの近所の病院に勤務している弟と話をしていたのですが、話の中で、弟は自分の部下が起した、患者さんへのトラブルに関して話をしてくれました。そのトラブルとは、気管内挿管時におきた歯のトラブルだったのです。
病院において患者が命の危険にさらされている時、真っ先に行わないといけないことは呼吸がちゃんとできるようにすることです。呼吸ができず窒息してしまうと、体の全ての生理機能が維持することができなくなり、命を落とすことになります。そのため、命の危険があり呼吸を維持することが難しいと判断する場合、医者は口から気管へプラスチック製のチューブを挿入し、呼吸の通り道を確保し、呼吸が管理できるようにすることが求められます。このことを気管内挿管といいます。これは何も命の危険、呼吸の維持が困難な場合だけに行われるものではありません。全身麻酔の手術を行う際にも行われることです。
口から挿管用チューブを入れて気管へ挿入する際、行われる作業の一つに喉頭展開と呼ばれる作業があります。喉頭鏡と呼ばれる器具を用いて、挿管用チューブを気管に入れやすいようにするため作業です。なぜこうした作業をしなければならないかといいますと、気管の入り口は食道の入り口と近接してからなのです。気管に挿管用チューブを入れているつもりが実際は食道に入っていたことが起こりうるからなのです。せっかく呼吸ができるようにしている挿管した挿管用チューブが食道に入っているようでは意味がありません。そのため、喉頭鏡を用いて挿管用チューブが誤って食道に入らないよう、確実に気管に入るようにするようにしないといけないのです。
ところが、喉頭鏡を喉頭展開の作業時にしばしば思わぬトラブルが生じることがあるのです。その一つが口の中のトラブルです。喉頭鏡は金属製の硬い材質でできています。喉頭鏡を口の中からのどの奥へ入れるわけですが、その際、口の中の歯に強く接触したり、当たったりすることがあります。気管に挿管用チューブを挿入する作業は時間との勝負です。少しでも早く気管へ挿入するためにどうしても喉頭鏡を使う作業も手荒くなりがち。 しかも、医者は口の中の歯のことは意外と知らないもの。歯や口の中の状況を詳しく知らずして喉頭鏡や挿管用チューブを使う場合があるのです。命の危険にさらされている瞬間においては口の中まで気が回らないのは無理もないことかもしれません。
その結果、喉頭鏡や挿管用チューブを使用する際、ついつい歯を折ったり、歯が脱臼し、抜け落ちてしまうことがあるのです。特に、患者さんが歯が歯周病が進行していて歯がぐらぐらしている状態であったり、むし歯が多く放置していたような場合、挿管作業中に歯を傷つけてしまうことがあるのです。弟の部下が起したのもまさにこのことだったのです。
弟が言うには、今回文句を言っている患者さんは、救急で運ばれてきた患者さんで、自分の部下が気管内挿管をしたそうですが、命が助かり元気に快復するや否や自分の口元を見て、 “歯が折れているじゃないか!”と文句を言っているのだとか。部下は自分のミスを認め謝っているのだそうですが、 “親からもらった歯に傷がついた”と納得しないとのこと。
確かに、自分の歯が医療行為によって傷ついたことに関しては医者に責任があることでしょう。しかしながら、歯医者である僕がこのようなことを書くのは問題かもしれませんが、人間というもの命があってなんぼのもの。命の危険にさらせている時、命を救うために行われる処置に文句をつけるとは何事だと思います。結果的に命が助かったのであれば、歯の一本が無くなったり、傷がついたりしても仕方がないことではないかと言いたいのです。歯が傷つけば、歯を修復すれば良いことです。歯が無くなればブリッジや入れ歯、場合によってはインプラントという処置もできます。これら処置が出来るのは、命があってこそ。命がなければ歯の処置を考える以前の問題です。
気管内挿管時に歯にトラブルが出るような患者さんの場合、多くは日頃の歯の手入れが行き届いていないことが多いもの。そんな自分の不始末を棚に上げておき、しかも命が助かっておきながら、自分の歯のことをとやかく文句を言うというのは、僕は如何なものかと思うのです。自分の命と引き換えに歯の一本失ったとしても、それで生きながらえたというのであれば、そのことに感謝をすべきではないか?文句を言う筋合いはないと思うのですが。
すみません、いつもより少々過激にな日記になってしまいました。
|