2007年06月20日(水) |
子供の鉄棒逆上がり練習から感じたこと |
小学生の頃、体育ではいろんなことを習得するようなカリキュラムがあるものです。かけっこから、水泳、跳び箱、縄跳びなど、誰もが一度は習得するのに苦労をしたことがあるのではないでしょうか?どちらかというと運動が得意な方ではなかった僕は、水泳、跳び箱、縄跳びなどをマスターするのはクラスの中でも遅い方でした。クラスの友達がゾクゾクとマスターしていく中、いつまで経ってもマスターできない自分自身が情けなくもあり、悔しくもあったものです。
今、僕の子供たちも彼らにとって新しいことをマスターしようと努力しています。小学生の上の子は逆上がりにチャレンジ中ですが、上の子は非常に焦っています。それもそうでしょう。クラスの中で逆上がりがマスターしていないのは自分を含めわずか数人という現状だからです。親に似ているものです。先日、小学校から帰ってきた上のチビは、開口一番
「学校で逆上がりができなくて悔し涙が出たんだよ。」
これを聞いたお父さんである僕はいても立ってもいられませんでした。僕の仕事が休みである休日、上のチビを連れて近所の公園へ逆上がりの練習に出かけたのです。
近所の公園へ出かける前、僕は自分の小学生時代のことを思い出そうとしました。僕も逆上がりがなかなかできず苦労をしたのですが、どうやって逆上がりをマスターしたのか、全く記憶に残っていなかったのです。 そこで、僕は本屋で逆上がりに関する本を購入したり、インターネット上で逆上がりのマスターするためのコツのような情報を得ました。その結果、わかったことは、逆上がりをマスターするには、いくつかのポイントがあるということでした。
一つは、鉄棒に体を密着させること。これは逆上がりをする際、腕に力を入れて体をひきつけるために必要なことで、逆上がりができない子供を見ていると、この腕のひきつけによる鉄棒への密着ができていません。 二つ目が足を高く上げること。逆上がりは自分の体を後ろ向きに回転させるわけですが、そのためにはまず足を真上に高く蹴りだす必要があります。この蹴り出す力が不足しているとうまく体が上がりません。 もう一つが、頭が逆さまになる感覚です。
こういった逆上がりをすると当然だと思っている一つ一つの過程が一連の動作として理解し、体で把握して初めて逆上がりができるのですが、この過程の一つでもわからなければ逆上がりはできません。
上のチビの場合には、家の中で逆さでんぐり返りの練習をし、逆さになる感覚を少しでもわかるように練習。公園ではタオルを3つ折りにして腰に当て、タオルの両端を鉄棒にかけ、腕で上から持たせて逆上がりをするようにしていきました。 逆上がりの際には、すのこやベニア板を使い、駆け上がるようにしながら足を蹴り上げる練習も行いました。
結果はどうだったかといいますと、かなり惜しいところまではいっているのですが、実際にマスターするところまではいっていません。上のチビは手にまめをつくりながらも必死で頑張っている姿を見ていると、お父さんとしても逆上がりができるまで付き合わなければならないと心に堅く誓った次第。
ところで、上のチビの逆上がりの練習を見ていると、僕はあることを考えました。それは、何気なく行われる動作、結果の裏には人にはわからない、目立たない過程があるということです。
世の中の専門家と呼ばれる職業の人は、結果を出して当たり前のように見られます。 例えば、僕のような歯医者の場合、患者さんの歯痛やむし歯を治して当然のように思われますが、実際のところは、患者さんの口の中をじっくりと観察し、検査し、患者さんの訴えを聞きながら何が原因かを探る診断をしないといけません。診断ができれば後は治療となるのですが、治療もきちんとした定石のようなものがあります。この定石のようなものにのっとり、段階を踏んで治療をした結果、患者さんの症状が無くなり、初めて信頼が得られるのですが、そこに至るまでの診査、診断、治療の個々の過程は評価されないものです。できて当たり前といったところでしょうか?それぐらい、プロというのは厳しいものであると言うことができるでしょう。 けれども、実際のところは、結果を得られるまでの過程が非常に大切なのです。我々歯医者は、この過程のために日々、知識を得て、研鑽しているものなのです。本当のプロと呼ばれる人が着目するのは、結果以上に結果に至るまでの過程ではないかと考えます。
上のチビが必死に逆上がりを習得しようとしている姿を見ていると、逆上がりという動作の中においてもいくつものポイント、マスターするための過程があることを実感します。これらポイントをつかみ、体で理解し、再現できて初めて逆上がりができるのです。
上のチビが逆上がりをマスターするにはまだまだ時間がかかりそうです。けれども、親心というのでしょうか、一生懸命頑張っていることをちゃんと評価しないといけないとも感じました。もし、逆上がりがマスターできなかったとしたら、周囲からは逆上がりができないと馬鹿にされるかもしれません。周囲では逆上がりができるかできないかで評価されるのでしょうが、少なくとも親としての僕は、僕は上のチビが決して怠けず、必死に努力していた姿勢は評価してやろうと思っています。何事もマスターするための過程の大切さを感じ、必死に努力する大切さを今の時期に学ぶことができれば、それは大人になってから決して無駄にはならない、今後の長い人生で大きな糧になるのではないか。そう信じて疑いません。
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