歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年06月14日(木) そして、誰もいなくなったが・・・

インターネット全盛時代、あらゆる会社、企業、学校、官庁、医療機関にホームページがあります。ホームページとっても千差万別で活動的で更新が頻繁に行われているホームページがある一方、一度立ち上げてみたものの、放置されているホームページもあります。僕も“歯医者さんの一服”というちっぽけなサイトの管理者ですから、ホームページを継続して管理していく難しさは肌身をもって感じていますが、たとえどんな形であれ、ホームページを更新していくと、何らかの反応はあるもので、そんな反応がモチベーションとなりホームページを維持していく糧になると言っても過言ではありません。
たかがホームページですが、生き物のように新陳代謝するものだということを強く感じています。

ところで、昨夜僕は久しぶりにとあるホームページを尋ねてみました。そのホームページとは僕がかつて所属していたK大学某教室のホームページです。K大学には大学の公式ホームページが存在するのですが、学内の各学部の教室ごとにホームページが用意されています。それぞれの教室のホームページには、外部の人たち向けに自分たちの教室の研究内容やこれまでの研究成果、教室の人員などが紹介されているのです。
僕がかつて大学院生として過ごした某教室にもこれまでの研究テーマの紹介や業績が掲載されているわけですが、久しぶりに訪れた某教室のホームページを見て、僕は一抹の寂しさを感じました。それは、僕が知っている先生の名前が誰一人見あたらなかったからです。

既に僕がK大学大学院を修了してから12年という月日が経過しているのですが、その間に、僕のボスであった教授はガンのために鬼籍に入られました。直接指導を受けた恩師であるM先生は、5年前に外部の大学の教授として転進され忙しい日々を送られています。僕の相談相手になって頂いていた大学院の先輩の先生も外部の大学へ移られ、今は講師として活躍されています。そして、昨年の時点まで僕が知っている先生で唯一某教室に在籍し続けていた先生がいました。Y先生でした。

Y先生に関して、僕はあまり良い思い出がありません。大学院入学当初、僕はY先生について研究をしていたのですが、どうもY先生とは肌が合わず、衝突を繰り返していました。今から思えば若気の至りだとは思うのですが、当時の僕としては様々なことでY先生を受け入れることができず、感情的に爆発してしまったことがしばしばでした。そして、何を考えたのか、僕は自らY先生のもとを去ったのです。自ら去ったといえば聴こえはいいものの、指導教官がいなくなった僕は自分の研究が出来ないのも同然の身になってしまったのです。
そんな我がままな僕を拾ってくれ、面倒を見てくれたのが恩師M先生でした。M先生には大変な迷惑をかけたと思っていますが、M先生の寛大なお心で僕は大学院での研究生活を実りのあるものにできたのではないかと思っています。M先生を恩師の一人として今も尊敬している理由の一つは、そんな経緯があったからなのです。

それはともかくとして、僕の最初の指導教官であったY先生が昨年まで助教授としてK大学某教室に在籍していたのですが、昨夜見たK大学某教室のホームページにY先生の名前が掲載されていなかったのです。一体どうしたことなのだろう?
インターネットとは便利な物です。Y先生の名前を検索エンジンで調べてみると、直ぐにY先生の現状がわかりました。Y先生はこの4月に設立された大学の教授として赴任されていたのです。

Y先生も不遇でした。何年も前からいくつかの大学の教授に応募しておきながら落ち続け、いざK大学某教室の教授選挙では、自分よりも年齢が若い外部大学からの先生が教授となり、助教授のまま過ごされていましたから。Y先生のことを快く思っていない僕でも、Y先生の不遇には少し同情するところがありましたが、そんなY先生が無事に新設大学の教授に転出されたのです。
大学院を修了して既に12年。咽喉もと過ぎれば熱さ忘れるではありませんが、不思議なもので、かつて肌の合わなかったY先生が無事に教授になられたことを知って、僕はある意味、安堵したような気になりました。

最後まで残っていたY先生もいなくなった今、かつて僕が所属していた教室には僕と面識のある先生が誰もいなくなりました。時代の流れとはいえ、自分の出身教室に僕と関係していた先生が誰一人いなくなった事実に僕は何とも言えない寂しさを感じました。

ただ、うれしかったことが一つ。それは、K大学某教室のホームページに紹介されている写真です。教室の研究成果を紹介するための写真なのですが、その写真、実は僕が撮影したものなのです。今から13年前に撮影した写真ですが、それが未だに教室のホームページに公開されているのです。

自分が知っている先生はいなくなりましたが、僕がかつて撮影した写真が残っている事実。僕の分身が未だK大学某教室に残っているようで、知っている先生がいなくなり寂しさを感じた僕の気持ちを和ませてくれました。


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