昨年、国家の品格という本がベストセラーになってから“○○の品格“というネーミングがブームのようになっています。このブームに乗るわけではないのですが、今日は歯医者の品格について少し考えてみようと思います。
歯科業界の人たちが集まって話をすると、皆が異口同音に口にする文句があります。その文句とは“患者さんのため”。
患者さんのための治療 患者さんのための口腔衛生指導 患者さんのための診療体制
などなどあるのですが、僕はこのような文句を耳にする度、違和感があるのです。その理由は、どうして歯科業界の人たちは、今更当たり前のことを口々に言っているのだろうかと疑問です。
歯科業界を含め、これまでの医療の世界は医療を提供する側が常に患者側よりも上段に立つ所がありました。
“拠らしむべし、知らしむべからず”。
患者は自分の病気について知る必要はない、全ては医者の言うことを聞いておけば病気は治るもの。患者は医者を全面的に信頼しさえすればいいのだ。
このような考え方が医療の世界では一般的でした。ところが、患者意識の高まり、患者の知る権利を求める動きから、真の医療のためには患者の参加なしでは成り立たない。そのためには患者も医療の知識を持ち、医者とともに自らの病を治す意識を持ち、立ち向かうことが必要であるという考えが一般的になりつつあります。医者はこれまで以上に患者に対し医療情報を公開し、治療参加を促すことが求められてきています。インフォームドコンセントというのはその最たる例でしょう。 “患者さんのため”の治療というのはこのような動きを反映したものであることは疑いようもありません。
僕自身、“患者さんのため”という考えに関して異論はありません。むしろ当然のことであると考えていますが、その反面、声高に“患者さんのため”と叫び続けている歯科業界の動きに対してはどうも腑に落ちないところがあるのです。 歯科業界では未だに患者に対して上段に構えている傾向が強く、そのことを戒めるために“患者さんのため”を連呼せざるをえないところはあるでしょう。これは確かにそうだろうなあと思うのですが、天邪鬼の僕としては、“患者のために”と主張している背景には、“自分のために”という意識がどこかに働いているのではないかと思わざるをえないのです。“患者のために“と言いながら、実は己の利己主義的なところへ導こうとしている意図があるのではないかと勘ぐってしまいたくなるのです。
以下は僕の独断と偏見です。
今でこそ医療の世界というのは崇高な精神に基づいた世界のように思われがちですが、よく考えてみれば、病気である人様の体を商売にしている世界でもあるわけです。医療というもの、病気を治すという目的があるとはいえ、人様の体を対象にし、時には体を傷つけながらお金を頂いている仕事です。この仕事が果たして崇高な仕事でしょうか?僕はむしろ、医療とは非常に卑しい仕事ではないかと感じるのです。お上から免許証を与えられているが故に何も言われませんが、免許証がなければ、人様の体を対象にして商売をする行為は、非常にヤバイ行為であるはずです。一種のヤバサがあるような医療の仕事。時には危険と隣り合わせの仕事が果たして崇高なものであるのだろうかと疑問に思うのです。一般の人なら敬遠したいことを率先して仕事にしている医療の世界の本質には、卑しさがあるのではないかと思うのです。
また、歯医者の世界は他の医療の世界と比べ、特殊なところがあります。それは、ほとんどの歯医者が個人開業医であるという点です。僕もそんな個人開業医の一人であるわけですが、個人開業医という立場上、どうしても自分の城である歯科医院しか視点が行かない傾向にあります。世の中は広い世界であるはずなのに、自分の足元しか見ない、見えなくなってしまうところがあります。前述の“患者さんのため”という言葉は、そういったことに対する警鐘として言われ続けているところがあるのですが、自分の立場をわきまえるためにはもっと原点に立ち戻らなければならないと思うのです。
歯医者は、自分の仕事を卑しい仕事であるということを認識する必要があると思うのです。世間では、歯医者といえばハイソな世界、セレブな世界といったような雲の上の世界のように思われがちですが、僕から言わせればとんでもないことです。むしろ逆。歯医者こそ周囲の人からは引け目を感じなければいけない立場であると思うのです。 それ故、歯医者は常に自分の卑しさを克服するために、常に謙虚であらねばいけませんし、卑しい自分のもとをわざわざ尋ねて治療に来られる患者さんに感謝をしないといけないのではないと思うのです。歯医者の仕事で患者さんに迷惑をかけないよう、常に最新の知識を技術の研鑽を積まないといけないはず。天狗になっている暇、余裕はありません。もし天狗になっているようならば、自分の卑屈さをさらけ出している。そのようなことを歯医者は常々考えておかないといけないのではないかと思います。
歯医者が常に心のどこかに自分の卑しさを感じ、卑しさを克服するために日々努力し続けるなら、“患者さんのために”という言葉をいい続けなくても、自然と“患者さんのため”の治療をすることになるのではないか?僕はそのような思いを強く感じています。
自分の卑しさを克服する努力を怠らなければ、いつか歯医者は多くの人から尊敬される存在になるはず。歯医者の品格とは、まずは自分の卑しさに気づくことから始まるのではないか。 そのようなことを考えている、歯医者そうさんです。
歯医者が卑しい存在であると言えば、多くの歯医者からは反発があるかもしれませんね・・・。
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