歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年05月23日(水) 子育てが終われば孫育て

昨夜、夕食後、僕は嫁さんと話をしておりました。話の内容は自分たちの年齢と子供たちの年齢のこと。
僕は今年41歳、嫁さんは一つ下の40歳です。子供はといいますと、上の子供が9歳、下の子供が5歳であるわけですが、これから10年後どうなるのだろうかということを話していたのです。

「僕ら夫婦が50歳になってようやく息子の一人が大学生か?」
「どんな大学生になるのかわからないけど、もし、医者や歯医者になるのであれば、さらに6年間は学生を続けるわけだよね。その後、免許を取って研修して、結婚し、家庭を持つ。そうなると我々夫婦は60歳近くなるよ。」
「考えてみただけでもぞっとするなあ。」

そこで話は僕の両親の年齢となりました。親父は今年76歳、お袋は64歳。親父とお袋は同じ未年でありながら一回り違う夫婦です。よくも一回り違う年齢差にも関わらず結婚することができたものですが、今更ながら我々夫婦が驚いたのは、お袋の結婚年齢でした。
お袋が結婚したのは22歳。すなわち、大学を卒業してから直ぐに結婚したのです。お袋は全く社会人を経験せず、直ぐに結婚し、子供を産んだことになるのです。どうしてそのようなことになったのか?
かつて、僕はお袋の母親である祖母にそのことを尋ねたことがあります。その時、祖母はこんなことを言っておりました。

「あなたのお母さんはね、就職したら絶対に結婚できないタイプだったのよ。私は自分の娘のことだからよくわかるのだけど、あなたのお母さんは気が強くて、負けん気が強い子だった。もし、大学を卒業してどこかの会社や企業に就職したなら、わき目も振らず仕事に専念したでしょうね。今風に言えばキャリアになる可能性が大きかったのよ。そうなったらあなたのお母さんは絶対に婚期を逃すということが私には見えていたんだよ。そこで、私はあなたのお母さんを就職をさせず、直ちに結婚相手を探して結婚させたわけよ。そら、あなたのお母さんは文句タラタラだったけど、当時の私も元気だったからね、強引に説き伏せて結婚させたのよ。」

少し前まで、女性の結婚はクリスマスケーキみたいなものだと言われた時期がありました。24歳を越えると女性は婚期に遅れるなんてことが言われていたものです。今となっては信じられない話ですが、このクリスマスケーキのたとえ話よりもずっと前の時代に、お袋はクリスマスになるはるか前に結婚し、僕や弟を産んでいたのです。
お袋が結婚した当時、お袋の学生時代の友人たちは、ほとんどが社会人として働き、活躍していたとのこと。そんな中、お袋は家庭で子育てに専念していたことになります。子育てに専念するということは聴こえはいいものの、お袋にとって内心は穏やかではなかったようです。自分が社会人として働きたい気持ちがつよかったのに、祖母に強引に説き伏せられ結婚させられたことを後悔した気持ちが強かったといいます。自分だけが他の友人から取り残されたような疎外感さえ味わったようです。さぞつらかったことでしょう。

その気持ちが影響したのでしょうか、親父が某大学歯学部を退職し、歯科医院を開業する時には、お袋は自分も歯科医院の仕事を手伝いたいと強く主張したそうです。親父もお袋が歯科医院の仕事を手伝うことに異論はなく、開業時から今に至るまで、うちの歯科医院は開業から親父とお袋の二人三脚でやってきました。
お袋が生半可な気持ちで歯科医院の仕事を手伝ったわけではなかったのは、僕にはよく理解できます。治療の流れ、患者さんの介助、受付業務、スタッフの労務管理など、親父が治療に専念できるようにお袋が裏方で頑張ってきた姿を僕は何度も目にしていたわけですから。お袋の歯科や歯科経営に関する知識や経験は、若手のスタッフには太刀打ちできないものでしょう。

お袋も今年で64歳。若くして結婚し、子供を産み、歯科医院の仕事を手伝いながら、他の同級生よりも早く子育てを終えたわけですが、今や僕の子供である孫の面倒までみている始末。体力的には以前より衰えがありますが、それでも、孫の面倒を見るのもまんざら悪くはなさそうです。

「自分の子供を育てている時はどこかいらいらしていたよ。若くして母親になったし、子育ても初めてだったから、しょっちゅう子供には厳しく当たっていたよね。自分ではそうではいけないと思っていても、どうにもならなかった。悪かったと思っているよ。そんな気持ちもあってね、○○ちゃんや△△ちゃん(僕の息子のことです)を見ていると、あなたの小さかった頃を思い出すのよ。もう一度子育てのチャンスを与えてもらったような気がするのよ。適当に年も取ったから、私もそれなりに忍耐強くなったから、怒らないで子守をしているわよ。」

僕が幼少の頃、お袋はしょっちゅう怒っていた印象が強くあります。怖いお袋にビクビクしていた時期があったことを僕も昨日のことのように覚えています。その時に比べれば、孫達へのお袋の接し方はそれこそ大人の接し方といえるくらい、余裕をもっているように思えます。年の功というやつかもしれません。

果たして、社会人を経験せず、若くして結婚したお袋の人生が良かったのかどうか、僕にはわかりません。ただ、今となってお袋は自分の人生に悔いは無いといいます。

「人生というもの、いろんな選択肢があっていいと思う。ただ、言えることはどんな選択肢を選らんだとしても一生懸命生きること。そうすれば、人生には何かよいことがあるものよ。」

僕はお袋がこれからも元気に、日々笑って過ごすことができるような人生を歩んでいって欲しいと願って止みません。


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