2007年05月22日(火) |
恩師から先生と呼ばれて |
医者、歯医者、政治家、弁護士、教師などの職業の人たちは常日頃、周囲から“先生”と呼ばれています。手元にある某国語辞典によれば、先生とは師匠、教師、医師、政治家、弁護士などを呼ぶ尊敬語なのだとか。元来、何か特殊な知識、技術、経験を持っている職業の人のことを、ある種の畏敬の念を込め、“先生”と呼ぶようになったのかもしれません。
何を隠そう、僕も常に患者さんやスタッフから“先生”と呼ばれています。うちの歯科医院に来院する患者さんやスタッフは、僕より年配の方が多いのですが、そんな人生の先輩の患者さんから“先生”と呼ばれるのは今もって恥ずかしいところがあります。 ただ、歯科医院という仕事場では、僕が職場の長でもありますから、スタッフから“先生”と呼ばれることで職場の調和が保たれるところがあります。そのため、仕方なく“先生”と呼ばれなければならないところがあるにはあるのです。
ただ、僕の本音としては、僕は“先生”と呼ばれることは好きではありません。その理由は、ずっと“先生”と呼ばれ続けていると、心のどこかで慢心が生じ、天狗になってしまうのではないかという危機感があるからです。 僕はまだまだ未熟者です。まだまだ学ぶべきことはたくさんありますし、日々いろいろと試行錯誤しながら仕事をしているくらい。現状では満足したくない。そんな思いを持っていると“先生”と呼ばれるにはまだ早いという意識が僕の心の中にあるのです。
そういった意味では、インターネットの世界で僕のことを“そうさん”と呼んでもらえるのは実に気楽なものです。どんな立場の人間であろうが、誰もが平等であるインターネットの世界は、気楽なものです。“先生”と呼ばれず、“そうさん”と呼ばれることに僕は心地良さを感じますね。
今回、どうしてこのようなことを書いたかと言いますと、先日、ある患者さんの治療をしたからなのです。その患者さんとは僕の恩師M先生でした。 誠に有難いことなのですが、僕が中学、高校時代に世話になった恩師の何人かが歯の治療のためにうちの歯科医院に来られているのです。当然のことながら、僕は恩師の先生に対し、“○○先生”と言いながら歯の治療をさせてもらっています。M先生もそんな恩師の一人なのですが、プライベートでは僕のことを名前で呼ぶのですが、歯科医院の中では僕のことを“先生”と呼ぶのです。 僕は歯医者ではありますが、M先生からすれば教え子の一人に過ぎません。僕にとってもM先生がいつまで経っても恩師であることに異論はなく、今もって“先生”ではあるのですが、そんな恩師が僕のことを“先生”と呼ぶのです。 かつて僕はM先生に 「“先生”と呼ばなくてもいいですよ、恥ずかしいですから。」 と申し出たのですが、M先生曰く
「歯科医院では私はそうさんに世話になっているんだよ。そうさんが私の教え子の一人であることは間違いのないことだけど、このことと歯の治療のこととは全く別だよ。私は歯科医院でそうさんのことを“先生”と呼ぶことに全く抵抗感はないし、むしろそのように呼ばないと失礼ではないかと思っているんだよ。」
確かに歯科医院では僕はM先生の歯の治療を担当する歯医者の“先生”ではありますが、僕にとっては人生のある時期を世話になった恩師です。そんな恩師がかつての教え子を“先生”と呼ぶことができる懐の深さ。僕は恩師の先生に頭が上がりませんでした。果たして僕が同じような立場になった場合、自分の教え子に対し“先生”と呼ぶことができるだろうか?僕には自信がありません。 これまでもM先生には単に教科書的なことだけではなく、人生の生き方についても学んできましたが、まだまだM先生には教えて頂くことがありそうです。
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