歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年04月12日(木) 男を磨く・・・ということ

かねてから僕は池波正太郎のファンで、いくつかの小説を読んではいたのですが、最近、池波正太郎の本にご無沙汰しておりました。久しぶりに池波正太郎の本を読んでみようかと何気なく思い、本屋で買ったのが、エッセイである“男の作法”(新潮社新潮文庫:ISBN4-10-115622-0)。

この本の中のテーマは“如何に男を磨いていくか?”
池波正太郎が日頃から考え、実行していた生活習慣とそこに至った背景、考えなどがインタビュー形式で書かれていました。食べる時の礼儀作法から始まり、服装、持ち物から人生哲学にいたるまでの幅広い内容で、“男の作法”とは銘打っているものの、男性ばかりだけでなく、女性も含めた人間の不変的な内容を取り扱っていました。
勘定、人事、組織、ネクタイ、日記、贈り物、小遣い、家具、酒、月給袋などなど、どのテーマについても豊富な人生経験を持つ池波正太郎が語る言葉はどれもが共感できる内容で、中には溜飲が下がるテーマもありました。
そんなテーマの一つがチップに関することでした。

池波正太郎は生前、タクシーに乗った時に料金以外にチップをあげる主義だったのだそうです。タクシーメーターが500円であれば、100円でも余分にチップとしてあげるのだとか。例え、100円であっても、もらった運転手は、気持ちよく受け取るだけでなく、その日一日は気持ちよく運転する。些細なことかもしれないが、一人が100円でも世の中にもたらすものは積み重なって大変なものになる。

今の時代チップを出さなくてもサービス料を勘定で払っているのに、どうして余計にチップまで払わないといけないのだという世の中の風潮がある。確かに理屈ではそうであるが、人間というもの形に出さなければ気持ちは通じないもの。言葉だけでは気持ちは通じない。
たとえ100円であってもその100円は身銭を切って出したもの。だから運転手に気持ちが通じる。そこに意味がある。

この話を読んだ僕はある歯医者の先輩から言われたことを思い出しました。
かつて僕はその先生に誘われ、食事に連れて行かれたことがあったのですが、僕がおごってもらったのです。先輩の先生ですから、おごってもらったことに対して感謝の意を表すのは当然のこと。僕は“ご馳走様でした”とお礼をいったのですが、その先生は一言

「勘定は感情に繋がるものだよ。」

下手なしゃれのように思えるかもしれませんが、僕には箴言のように思いました。

今の世の中、お金がないと何かと不自由するものですが、かつてのバブル景気やITバブルのようにがむしゃらにお金儲けのことを考え、前面に出して行動することについて、僕は違和感を覚えます。反対にお金を溜め込み、必要以上に使わないケチくさい金銭感覚も如何なものかとも思うのです。いずれの場合にせよ、変に金に執着することによって益するものは何もないのではないかと思うのです。
金は天下の回り物です。世の中は金が回る経済で成り立っているもの。それならば、人間同士の意思疎通のための潤滑油として使うのも一考ではないか。お互いのより良い人間関係構築のために、時には身銭を切ることも必要だろうと思うのです。
一見すると自分が損しているように思えるかもしれません。給料が限られ、税金もたくさん払っている。自分の懐が余裕がない時に身銭を切るというのはつらいものではあります。けれども、ほんの少しの金額でも自分が身銭を切って示したお金というものは、お金だけでなく、お金に託した気持ち、誠意まで相手に伝わる。その気持ちが相手の心を揺さぶり、結果的に人間関係の風通しをよくする。
池波正太郎や歯医者の先輩はそんな金の使い方を肌で感じていたのでしょう。相手に対する思いやりを言葉だけなく、形で表すことで実践していたのだろうと思います。

池波正太郎はこのことを
“男を磨く・・・ということ”
と評しました。

僕自身、ダンディな男の一人として憧れでもある池波正太郎の言葉ですから、非常に説得力があると感じた次第。

もっと男を磨いていかなくてはならないと感じた、不肖、歯医者そうさんでした。


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