先週末、僕は地元歯科医師会関係の会合で某歯科技工士専門学校の関係者から話を聞く機会に恵まれました。この講演を聴いた率直な感想は、10年先、歯医者の世界はとんでもない事態になりそうだということでした。
歯の治療を行う際、被せ歯や差し歯、金属の詰め物、土台、入れ歯などは歯医者が作っているように思われる方が多いかもしれません。確かに歯医者が作っている場合もあるのですが、大半は歯医者が歯型を取り、指示を出したものを歯科技工士と呼ばれる専門家が作ります。 今や歯科の世界は分業が進んでいます。歯医者は歯の治療を行い、歯科衛生士は歯の予防、口の中の健康指導を担当し、歯科技工士は被せ歯や差し歯といった補綴物を製作する役割を担っています。
歯科衛生士はこれまで2年の専門学校教育課程を経て国家試験に受かれば歯科衛生士の資格を得ることができたのですが、最近では、3年制へ移行しているのが現状です。それに伴い歯科衛生士の業務の見直しが行われ、単に歯の予防、衛生指導のみならず、口腔ケアを通じ、他の医科との連携ができるようになってきています。 新聞の折り込み広告などを見ていると、歯科医院のスタッフ募集が散見されるのですが、歯科衛生士を募集する広告が後を絶ちません。歯科衛生士を養成する歯科衛生士学校でも歯科医院からの募集申し込みが多いと聞きます。歯科衛生士は歯科界において需要が多く、ひっぱりだこであるところがあります。
それに対し、歯科技工士の現状は非常にお寒い状況です。現在、全国にある歯科技工士を養成する歯科技工士学校はたった65校、大半が2年制です。歯科技工士学校は年々減少をし続け、僕が住んでいる県でも歯科技工士学校が次々と廃校になっているのが現状です。 歯科技工士の募集もごく限られた歯科技工所しかありません。どうして歯科技工士の需要が少なくなってしまったのか?それは歯科技工士が働く労働条件の悪さにあることに尽きます。
保険診療では各治療行為に対し、点数が付けられています。抜歯であれば○○点、神経の治療であれば○○点といった具合です。治療費用はこの点数の10倍が必要となります。例えば、1回の治療で150点の保険点数がかかった場合、治療費は150点の10倍である1500円となります。患者さんは保険証に定められた割数を窓口に払う仕組みとなっています。仮に保険証に3割の記載があるなら、1500円の3割である450円を窓口で支払い、残りの1050円は保険組合が負担することになっています。 保険診療であれば、被せ歯や差し歯といった補綴物も点数がついています。歯医者は保険診療で定められた補綴物の点数を患者さんから徴収しますが、補綴物の製作経費は、補綴物を製作した歯科技工士に支払うことになっています。 昨年、小泉政権の下で国民医療費抑制の掛け声のもと、保険診療における保険診療点数の引き下げが行われました。これは全ての医療機関の経営に大きな影響を与えましたが、歯科医院でもかなりの経営的損失をもたらしました。 この損失はそのまま歯科技工士にも直結しました。補綴物の保険点数が下げられると、同じ数の補綴物を製作しても単価が下がるため、歯科医院の収入が低下します。 歯科技工士が製作する補綴物の制作費は、慣習的に保険点数に連動して決められています。しかも、この制作費は保険点数に定められた点数よりもかなり安めに設定されています。 ということは、補綴物の保険点数が下げられると、歯科技工士が手にする補綴物の制作費も少なくなるのです。歯医者が風邪をひけば、歯科技工士も風邪を引く、場合によっては気管支炎や肺炎にまでなってしまうくらいの影響が出ると言っても過言ではありません。 歯科技工士はこうした報酬の低下を食い止めるため、これまで以上に多くの補綴物を作らざるをえなくなります。単価が下がった分、製作する補綴物の量でカバーせざるをえないのです。その結果、これまで以上に長時間労働をせざるをえなくなったのです。全国各地に点在している下請け会社と同様の事態が歯科技工士の世界にも当てはまるのです。
それでは、補綴物の製作の効率化を図ればいいのではと思われる方もいるかもしれません。ところが、補綴物の製作は機械化が難しいのが現状なのです。補綴物の製作には削る、彫る、曲げる、研磨、盛るといった工程があります。このうち、削る、彫るといった過程は機械化が可能ですが、曲げる、磨く、盛るといった作業は機械化が難しく、人間が行わざるをえないのです。効率化を図ろうとしても効率化しにくい側面があるのです。
厳しい長時間労働に加え、実入りが少ない。こうした事情があると、せっかく歯科技工士学校を卒業して歯科技工士になった若手が離職する割合が多くなってしまいます。ある調査によれば、歯科技工士は歯科技工士学校を卒業し、国家試験を受け、資格を得て3年以内の離職率が75%という高率なのだとか。そのため、現在、若手の歯科技工士が少なくなく、深刻な問題となっているのです。 歯科技工士の半数以上が45歳以上。しかも、多くの歯科技工士は補綴物をつくりながら、各歯科医院をまわり仕事をもらってくるという営業も行っているという現状。歯科技工士が一人で歯科技工所の経営を行いながら、補綴物も作るという加重労働を強いられているのです。
ということは、今後10年後どういったことが起こるか?想像するのは簡単です。現在、必死で頑張っている45歳以上の歯科技工士が高齢のため、現場を離れる。その結果、歯科業界で必要とされる歯科技工士の数が激減してくるのは目に見えています。歯科業界そのものが激変してしまう可能性が高いと言えるでしょう。
仕事の性格上、歯科技工士はどうしても歯医者に対して受身にならざるをえません。企業においては下請け、孫請け的な会社が存在するものですが、歯科の世界においても歯科技工士は歯医者の下請け、孫請けのような存在であるのが現状です。本来ならば、お互いが分業態勢で対等な立場ではあるのですが、保険制度のしがらみから歯医者が歯科技工士を見下すような状況にあるのです。悲しいことです。
歯科技工士の減少問題は今後しばらくの間、続くことでしょう。歯医者はもっと歯科技工士の問題を真摯に考え、対策を講じていかなくてはならないはずですが、歯医者がこの状況を改善しようとする努力は十分なものだとは言えません。歯科技工士不足は、歯医者に与える影響が大変大きいもの。今一度、歯科技工士の現状を考え、歯科技工士が歯医者と共に生き残っていける方法を模索しないと大変なことになる。
将来の歯科界の危機を痛烈に感じた、歯医者そうさんでした。
|