2007年03月15日(木) |
東大現役合格者のノートを見て感じたこと |
昨日、診療所の待合室用に置いてあった雑誌を見る機会がありました。どこの歯科医院でも待合室には何種類かの雑誌が置いてあると思います。うちの歯科医院でも何種類かの雑誌を購入し置いています。週刊誌と言っても雑誌によってはグラビアがかなり過激なものがありますので、そういった物は置かず、比較的地味な物を置いているつもりです。患者さんが診療前に興奮しても問題ですしね・・・。 それはともかく、待合室に置いてある雑誌は比較的新しい号の物を置くようにしています。いつまでも古い物を置いていると患者さんからの印象がよくありません。おおむね発行されてから1ヶ月を過ぎると交換するようにしています。先日も、そんな雑誌がないか待合室でチェックをしていたのですが、何気なく見た某週刊誌に思わず目を留めた記事がありました。
その記事とは、写真入りの記事で、タイトルが“東大現役合格者に共通する「ノートの法則」”と銘打った記事でした。記事にはかなりの部分に東大に現役合格した人たちのノートの写真が掲載されていたのです。 そこの記事でも触れられていることですが、どのノートもきれいに美しくまとめられているのが特徴です。4人の東大現役合格者の英語、物理、日本史、現代史のノートが掲載されていました。4人は性別は男性2人、女性、2人。 この記事の担当者によれば、合計100冊以上の東大現役合格者のノートが集まったそうですが、文系、理系に関わらずきれいにまとめられたとのこと。本当に板書しただけなのかと言いたくなるくらい解説が書いてあったり、図示かしていたりしていました。中には参考書として世に出してもおかしくないくらいの出来の物もあったそうで、非常に興味深い傾向があるとのことでした。 受験関係者の中にはノートをきれいにまとめることに力を注ぐより、もっと他のことに力を注ぐべきという意見があるようですが、実際に掲載されたノートを見て僕が感じたことは、非常にビジュアル的なのです。きれいな字を書いてはいなくても、非常に見やすく、まとめられているのです。一見して直ぐに頭の中に内容が入っていくような感覚に襲われるのです。他人である僕が見てそう思うのですから、おそらく書いた本人はノート上だけではなく、内容が頭の中で整理され、それをアウトプットしているのではないかと思うのです。少なくともノートに書きながら考える思考パターンではないはず。ある程度頭の中でイメージができあがっていたものを確認のために書き写しているというのが実態ではないかと思うのです。
今回の記事で思い出したことがあります。それは、昨年生誕200年を迎えたクラシックの作曲家モーツァルトのことです。モーツァルトは僅か35年の生涯の中で700曲あまりの曲を書いた作曲家ですが、どの作品も後世に残る傑作ばかり。奇跡の作曲家の一人でもあります。アイネクライネナハトムジークや交響曲40番、クラリネット協奏曲、レクイエム等々彼の名曲は枚挙に暇がありません。 そんなモーツァルトが父親に送った手紙がいくつか残されています。手紙の中に彼の作曲について触れているところがあります。その手紙によれば、モーツァルトはメロディが頭の中で泉のように湧き出てくるのだとか。そのメロディを頭の中でまとめ、完成させる。そうすれば、後はお茶を飲んだり、おしゃべりをしながらでも紙の上に譜面として書くことができるというのです。まさしく、天才のエピソードの一つと言えるでしょう。実際は多少の下書きや修正はあったようですが、基本的にモーツァルトは下書きをしないことで有名な作曲家でした。 僕も実際にモーツァルトの自筆譜面を見たことがありますが、非常に美しい譜面です。書き直したところはほとんどない譜面。モーツァルトが頭の中で浮かんだメロディをまとめあげた挙句、アウトプットしたことを裏付けるものだと思います。
現役合格する東大生とモーツァルトと比較するのは無理があるかもしれませんが、限られた時間で美しい書き物を残すという意味において、僕は何か共通するものがあるのではないかと感じました。東大というところは、現役合格するには非常に難しいとされている難関大学の一つ。そこに現役で入る受験生の特徴がきれいなノート作りにあるという裏には、既に内容が頭の中で理解、定着し、確認する意味が含まれているのではないかと感じた次第です。
それでは、きれいなノートつくりができない人が東大に合格できないかというとそうでもないと僕は思うのです。そこで思い出したのが同じくクラシックの大音楽家の一人ベートーヴェン。 ベートーヴェンの自筆譜面が今も残されていますが、彼の譜面には音符が非常に乱雑に書かれています。合唱や田園、英雄といった名曲ばかりの交響曲をはじめとして、ピアノ曲、弦楽四重奏曲等々の譜面は書きなぐったといった方がいいような書き方です。この自筆を書く前には、スケッチと呼ばれる段階があります。自分が思い浮かんだメロディを書きとめておく帳面のようなものなのですが、ベートーヴェンはスケッチで思い浮かんだ曲を下書きし、何度も何度も書き直した上で、自筆譜面に書いていたのです。この点、モーツァルトとは対照的です。 モーツァルトとベートーヴェンの作品のどちらが優れているかということになると、そのような比較は愚問でしょう。好みはあるものの、どちらも作品も数多くの人に評価され、見本とされ、今に至るまで生き残り、演奏され続けているのです。
ノート作りもこれに似ているところがあるのではないかと思うのです。確かに現役で東大に合格した人はきれいなノートを作る人が多いかもしれません。限られた時間できれいにまとめたノートを作ることは一種の才能かもしれません。けれども、ノート作りがきれいでなくても、最終的に東大に現役合格すればいいのではないでしょうか?労力という意味においては、きれいにノート作りできるヒトの方が効率的ではあるでしょう。けれども、効率は努力によって補われることが多いもの。結果が良ければどんなノート作りであってもいいのではないかと感じた、待合室での歯医者そうさんでした。
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