三月も気がつけば今日で10日。三月は去ると言いますが、年度末ということで何かと行事が多いのが三月。学生であれば各種入試や卒業、4月からの入学準備、終業式と春休み、勤務されている方であれば異動とそれに伴う準備など、本人だけでなく家族を巻き込んで時間に追われる日々を過ごされている方が多いのではないかと思います。 さて、三月に行われる行事の一つ、卒業。僕は幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院まで通学し、卒業したのですが、卒業の際、涙を流したのは1回だけです。それは大学院を卒業した時。正確には、大学院は卒業したと言わず修了したと表現するのが正しいのですが、ここでは大学院も卒業という言い方にさせて頂きます。
幼稚園から大学までの間、僕は卒業の際、泣いたことは一度もありませんでした。ほとんど笑顔で卒業式に臨んでいました。もちろん、感慨深いものはいろいろとあったはずですし、様々な友人、知人、世話になった先生と離れ離れになることは寂しいものがあったのです。そういった感傷にふけるよりも、新たに来る新生活に対する期待、憧れの気持ちの方が勝っていたのでしょう。そんな僕ですから、卒業式の際、周囲ですすり泣きの声が聞こえた時には、正直言って理解できませんでした。 内心 “人生の最後ではないんだから、今泣いていてどうするんだ。卒業は笑顔で迎えるものだ!” と思っていたものです。
ところが、大学院を修了し、式を終え、医局に戻った時のことです。4年間の大学院生活を追え、研究室の机の周囲を見ていた僕、は突然目頭が熱くなってくるのを感じました。どうしてそうなったのかわかりません。理屈では説明できない、体が勝手に涙腺を緩くしているとしかいいようのないものを感じたのです。せめて人前では涙を流しているところを見せたくない。そんな思いを持ちながら必死で涙腺から涙が出るのを自分なりに押さえながら、世話になった先生方に挨拶に伺いました。数人の先生に祝福されながら、最後の先生に礼を伝えている最中、僕は急に言葉が出なくなりました。僕の雰囲気を察したその先生は、
「そうさん、よく頑張ったね。」 と声を掛けて下さりました。僕は礼の挨拶もそこそこにその場を立ち去りました。そして、廊下を歩いている途中、目から溢れ出る涙を抑えることができませんでした。何とか向かいから歩いてくる人に見られないよううつむきながら歩いていたものです。
思い起こせば、大学院時代の生活は、研究室での研究生活だったのですが、指導して下さる上司や先輩の先生、友人や後輩はいるものの、研究の段取りは全て自分で自己管理しなければなりませんでした。自分の仕事は自分ひとりで行わないといけない。生まれて初めて、自己責任の重さを痛感しながら日々を過ごしていたように思います。 順調に研究生活を過ごせればよかったのですが、どちらかといえばうまく事が運ばず、頭を抱えてしまうような事態が多かった大学院生活。このままで大学院を卒業することができるのか?卒業できず、オーバードクターになってしまわないか?そんな不安が常に付きまとい、時には中での人間関係に悩まされながらも自分なりに必死に耐えた大学院生活。そんな大学院生活が無事に修了した安堵感が僕に涙を流させたのかもしれません。 中学、高校、大学時代も決して手を抜いた学生生活を過ごしてきたわけではありませんが、大学院時代はこれまでの学校と比べ、レベルの違う濃度の濃い時間帯を過ごした自負。そして、達成感。そのことがが僕の体に変化を起させ、涙腺を緩ませたのかもしれません。それくらい、自分なりに全身全霊を傾けて必死に仕事をしてきたつもりです。
この時の経験が原因かどうかわかりませんが、不思議なもので、緩くなかった涙腺が緩くなってきたような気がします。感動的なドラマや映画を見たり、音楽や人の話を聞いて目頭が熱くなるような時が増えました。友人の一人のこのことを話すと
「それは年を食ったからだよ!」 と一笑に付されました。そうなのかもしれませんが、少なくとも僕が涙もろくなった直接のきっかけは大学院の卒業式であることは間違いがありません。
大学院の卒業式があったのは今から12年前の3月の某日。遠い昔のように思う今日この頃です。
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