2007年02月16日(金) |
素振り、素投げ、素指揮 |
先日、僕が診療所に入ろうとした時のことでした。ふと待合室に目をやるとある患者さんの姿が目に見えました。その患者さん、何やらシャドウピッチングとでもいうのでしょうか、野球のピッチャーのまねをするが如く、素振りならぬ素投げをしていたのです。一球を投げ終わったその時、視線が合いました。患者さんは思わず苦笑い。見られたくない姿を見られ、気恥ずかしい気持ちでたまらないといったところでしょうか。
実は、僕も同様の経験が何度かあります。 数年前、友人たちと久しぶりにボーリングのお誘いを受けました。僕は何年ぶりかのボーリングということで、うまくできるだろうかと不安に感じていたのです。そんな思いから、人の目の付かないところでボーリングの素投げを何度もしていたのです。ある時、僕は診療所の技工室で、ボーリングの素投げをしていたのです。今から思えばどうしてそのようなことをしていたのかわからないくらいですが、それくらい思わず体がボーリングの態勢になっていたのかもしれません。その時でした。スタッフの一人が何気なく技工室を出入りする扉を開けたのです。そのスタッフが目にしていたのは僕のボーリングの素投げ姿。スタッフは思わず笑みを浮かべていましたが、僕としては非常に恥ずかしい思いをしました。穴があったら入りたい心境とはこんな心境ではないかと思ったぐらいです。
何かが好きだったり、思い入れがあり思わず体が動いてしまうことって誰でも一度や二度はあるのではないでしょうか?何か習い事やスポーツをしている方は、何か時間を持て余した時、自然と自分が習っている習い事やスポーツの動作をしてしまう経験があると思います。
昨年、ヒットしたテレビドラマで阿部寛が主演した結婚できない男というテレビドラマがありました。その中で、阿部寛扮する主人公が一人大きな部屋の中でクラシック音楽を聴きながら一人悦に入り、指揮をしてしまうシーンが何度も放映されていました。男の独身主人公の変わった一面を示すシーンとして実によくできたシーンではあったのですが、僕もこの指揮というのは何度かやってしまったことがあります。 僕がまだ5歳くらいのことでした。親父やお袋に連れられ、僕はある吹奏楽団の演奏会を聴きに行きました。今でも記憶があるのですが、当日は有名な曲ばかりの演奏会で当時幼かった僕でも楽しめる内容だったのです。演奏会が佳境に入ると、僕は思わず指揮をしてしまったのです。僕自身、どうしてそのようことをしてしまったのか説明できませんが、とにもかくにも指揮をしたくなったのです。演奏会終了後、お袋が苦笑いしながら言ったのが今でも記憶に残っています。 「あんたが演奏会の途中から指揮をしだして恥ずかしかったわ。止めようとしたけど、止めたらあんたは機嫌が悪くなるから止めなかったけど、周りの人はみんなあんたの指揮ぶりに思わず笑いを押さえていたで。」 さすが今では演奏会で指揮をするようなことはできません。実際に、アマチュアオーケストラに参加していると、指揮者の大変さはよくわかります。オーケストラ楽曲の複雑な総譜を全て把握し、音楽のイメージを持ってから、実際に目の前で弾いているオーケストラの全員やパートごとに的確な指示を与え、自分のイメージする音楽を作り上げる。指揮者とは単に棒を振っている仕事ではないのです。そのことは重々承知しながらも、それでも、一人で車に乗りクラシックのCDを聴いている時は、思わず手を振ってしまうことがあります。主に赤信号で車を止めている時にですが。もしかしたら、僕が赤信号で止まっている時、僕の車の隣に停車した運転手が僕の方を見れば、“あの人、頭おかしいんじゃないか?”と思われるかもしれません。自分で言うのも何ですが、ある意味病気です。我ながら変な癖だと思うのですが、止められませんね。まあ、長い目で見てやってください。
|