昨夜は、地元歯科医師会で会合がありました。例の如く、会合の後に何人かの先生の話をしていたのですが、その中で話題にあがったのが警察に逮捕され、留置場に収監されている容疑者の歯の治療でした。
警察に逮捕され、留置場に収監されている容疑者ですが、彼ら、彼女らにも人権があります。以前であれば、収監中の容疑者の歯が痛くなっても警察は放置していたのですが、昨今の人権問題の取り上げられ方から、警察も無視できなくなり、応急処置を受けさせるようになってきたのです。ところが、実際の歯の処置は警察ではできません。歯科医院へ出向かないと治療できないことから、警察は警察署の近隣の歯科医院に連絡を取り、収監中の容疑者の歯の治療を受けさせるようにします。 昨夜、僕とともに話をしていた先生の何人かは、留置場に収監された容疑者の歯の治療経験がある先生でした。留置場に収監していた容疑者の歯の治療経験のあるK先生曰く
「容疑者と言っても警察官が手錠をはめ、紐をつけて逃亡しないようにくるし、容疑者も歯が痛い場合は大人しくしていますよ。他の患者さんに対して迷惑はかかるかもしれないけど、容疑者も患者さんだからね。どんな患者さんでも公平に診療することが求められているのではないかなあ。」
僕はK先生に質問しました。 「治療費は一体誰がもつんですか?そもそも、保険証なんてないわけですよね。」 「留置場に収監されている患者さんの治療は自費なんだよ。保険証がないからね。治療費の負担は、表向きは担当の警察官のポケットマネーということになっているみたいだけど、どうもそれなりの予算があるみたいだよ。それから、治療に関しては基本的に応急処置の1回だけだね。それ以上は無いとみていいだろう。本来なら経過をみていかないケースでも応急処置をしか警察は許さないみたい。」
会話に参加していた先生の中に、地元警察歯科医のH先生がいました。H先生曰く 「僕も何人かの囚人の歯の治療をしたことはあるよ。誰が囚人かわからないような数人の警察官に連れられてきた囚人を治療したんだけど、中には覚せい剤の常習者もいてね。その時はさすがに緊張したよ。大人しくしていたからよかったけどね。」
「俺も収監されている容疑者の歯の治療をしたことがありますよ」と言うJ先生。 「ある時、警察から連絡がありましてね。うちの歯科医院で治療を受けたいという囚人がいるっていうんですよ。“一体誰だろう?”と思い、名前を聞いたら、以前にうちの歯科医院に来ていた患者だったんですよね。うちの歯科医院の患者さんだった囚人からの指名があったわけですから断るわけにもいかず、待っていたんですよ。そうしたら、パトカーに乗ってやってきました。他の患者さんはびっくりですよ。何の前触れもなく、いきなりパトカーがやってきて、中から警察官に囲まれた男がうちの歯科医院の中にやってきたわけですから。」
パトカーという単語を聞き、敏感に反応したのがH先生でした。 「警察歯科医になって初めて警察から遺体の確認のために依頼があったんだよね。警察からの電話では迎えにいくということだったんだ。俺も警察歯科医としての初仕事だったし、パトカーがわざわざ迎えに来るということで、ある意味どきどきしていたんだ。何せ、それまでパトカーの中に乗ったことといえば、交通違反をして反則切符を切られた時に乗ったことしかなかったからね。今回は正式な警察からの依頼ということで堂々とパトカーに乗ることができると意気込んでいたんだよ。それが間違いだったよ。」 「どういうことなのです、その間違いって?」 「間も無くしてパトカーがうちの診療所にやってきたんだよな。俺は迎えに来てくれた警察官と一緒にパトカーに乗り込んだんだよ。ところが、その光景を近所の人が見ていてね。『H先生が警察に捕まった』と勘違いしたんだよな。そこから話に尾びれ、背びれがついて、俺が警察に逮捕されたという評判が近隣に広まったんだよ。良い評判ってなかなか伝わらないものだけど、人の不幸というか悪い評判というのはあっという間に広がるものだろう。俺は警察歯科医としてパトカーに乗り込んだのにも関わらず、近所の人からみれば俺が何か悪いことをして警察に逮捕されたとしか見られなかったんだよ。えらい目にあったよ。その悪い噂を火消しするのにどれくらい時間がかかったことか。その時以来、俺は警察から警察歯科医としての出動を要請された時は、自ら自家用車で出向くか、警察にはパトカー以外の車で迎えに来てもらうようにお願いしているよ。二度と誤認逮捕はいやだからな。」
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