歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2006年11月13日(月) 病気腎臓移植について

既に皆さんご存知のことと思いますが、愛媛県の宇和島徳州会病院の医師が本来なら摘出、廃棄処分すべき腎臓を他の腎疾患の患者へ移植していたことが問題となっています。腎臓疾患で腎移植しか助からない患者が多数いる中、少しでも多くの患者を助けたい。そのためには病気の腎臓であったとしても使える腎臓であるならば移植できるのではないか?そのような動機でこれまで何人もの患者の腎移植を行ってきたようですが、これが表沙汰となり、日本移植学会や愛媛県、厚生労働省などが実態調査に乗り出しています。この移植ですが、移植をうける該当患者には口頭だけの説明でしか行わず、文書の形で移植に関する説明、了承を得ていなかったとのこと。先日、このことに関し愛媛社会保険事務局が保険適用施設の要件を満たしていないと判断し、保険請求分の返還を検討しているニュースが流れました。

病気腎臓移植に関しては賛否両論あるようですが、移植に関して僕は必ず考えなければならないことがあると思うのです。それは移植が臓器提供者(ドナー)と患者(レシピエント)があって初めて成り立つという事実です。
移植は、他に治療法が見当たらない時、臓器を提供してくれるドナーがいて初めて成立することです。現在、日本では生体移植と脳死移植が行われていますが、脳死移植に関しては脳死移植法が定められてまだ時間が経過していないことから現在、50例程度しか行われていません。そのため、移植は圧倒的に生体移植が多いのが現状です。中でも腎臓移植に関しては腎臓が左右二つあることから、古くから生体移植が行われています。僕の大学時代の友人の一人も腎臓の病気で長く苦しんでいたのですが、自分の母親の腎臓を一つ提供してもらい、腎移植をしてもらうことにより腎臓の病気から解放されました。うちの歯科医院のスタッフや患者さんの中にも腎臓透析を行っている人がいます。腎臓が機能せず、止むをえず腎臓透析を行っているのですが、腎臓の病気で苦しんでいる人が身の回りに多いと感じるくらい腎臓疾患で苦しんでいる人は多いと思います。

大学時代の友人のように身近な人から腎臓を提供してもらえるようなケースであればいいかもしれませんが、そのようなケースは多くはありません。腎臓移植を行うにもドナーがいないために移植を行えないケースが多いのが事実です。今回の問題で担当の医師はそんな患者を一人でも助けたいために、移植すべき腎臓を確保するには病気の腎臓であっても使えるものであれば移植に使えるのではないかという思いがあったと伝え聞いています。僕はその言葉に二言はないと信じたいです。一見すると一人でも多くの腎臓で苦しんでいる患者を移植で救いたいという気持ちが現れていると思えるのですが、僕はその発想は根本的に誤っているのではないかと思わざるをえないのです。

意外に思われる方も多いかもしれませんが、歯科においても移植が行われています。実際に歯科で行われる移植は自分の歯を歯の無い部位へ移植するもので、自家移植と呼ばれています。一番多く移植に用いられている歯は親知らずです。親知らずが骨の中に埋まっている場合、その親知らずを注意深く抜歯します。抜歯した親知らずを歯の無いところへ移植するのです。全ての親知らずが移植に適しているわけではありませんが、入れ歯やブリッジ、インプラントを行わなければいけないような歯の抜けている場所に歯を増やすという意味においては有効な治療手段の一つと言えるのです。
また、歯科では意図的再植という治療法があります。これは問題のある歯を一度抜歯し、口の外で治療を施したものをもう一度元にあった位置に戻す治療法で、これも移植のひとつといえるでしょう。口の中で治療を行っても効果が得られない場合、意図的に歯を抜歯し、根っこの治療や破折部位の接着処理などを行ったあと元の位置に戻す方法ですが、適応例を間違わなければ、時には有効な治療法となりえます。
これら歯科の移植において共通していることは、自家移植であるということです。すなわち、移植すべき歯は決して他人に使用せず、あくまでも移植に用いた歯を患者さんに戻すということです。これは実に当たり前のことです。いくら移植に使用できる歯でも使用できる限り他人に移植せず、本人に使用する。歯も体の臓器の一つです。使用できる臓器であれば他人に移植するのではなく、まずはドナーの益するところで使用する。使用できる臓器であれば患者本人に戻すということが大前提ではなのです。

今回の病気腎臓移植騒動で僕が一番気になるのがこの点です。担当医は病気の腎臓で廃棄処分にすべき腎臓であっても使用できる腎臓があると主張します。確かにそのような腎臓があるのかもしれません。もし、そうであれば、最初に行うべきことは、病気のある腎臓を持っている患者さんに腎臓治療を施すことが筋ではないでしょうか。治療の甲斐なく腎臓を摘出せざるをえない腎臓であれば、摘出した腎臓は廃棄処分しか選択肢はないはず。それを同じ腎臓の病気で苦しむ患者さんに移植をするというのはどう考えてもおかしいと思います。
僕の専門の歯科であるならば、むし歯や歯周病に侵された歯で保存不可能な歯は抜歯の対象となりますが、抜歯した歯を他人に移植することはしません。なぜなら、保存可能な歯であるなら抜歯をしないからです。保存できないと判断した歯の中に他人に使用できる歯があるかもしれないと考えるということはありえません。同じことが病気の腎臓移植にでも言えるのではないかと思うのです。

腎臓に関して専門外の僕がこのようなことを書くと腎臓の専門家からお怒りの意見を言われるかもしれません。けれども、移植がドナーがあってこその治療法であることを考えると、ドナーが生存している場合、臓器が機能している、機能する可能性のあるものであるならば移植は回避すべきではないでしょうか。廃棄する臓器の中に移植に使える臓器があるという発想。これはどう考えても移植目当ての詭弁と見られても仕方がないように思えてなりません。


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