2006年10月04日(水) |
飯を食うために抜歯する |
昨日、僕はある患者さんの歯を一度に多数抜歯しました。今回の場合の多数とは、10本以上の歯ということでした。
抜歯するにはそれなりの理由がありました。その患者さんの口の中は元々歯周病が進行し、動揺があった歯が多数ありました。その患者さんにはこれまで何回も歯周病治療を行ってはいたのですが、その甲斐無く、歯周病が徐々に進行していたのです。そのような状況の中、先月のことだったのですが、その患者さんは階段を下りる際、足を踏み外し転倒しました。その際、上顎と下顎が強く当たり、噛んでしまったのだとか。思わぬ転倒は歯周病が進行していた歯に大きなダメージを与えました。多くの歯の動揺が大きくなり、噛んで食事をすることができなくなってしまったのです。
実際に口の中を診てみると、残っていた歯はどれも今にも抜け落ちそうな状態でした。例えるなら薄皮一枚で持っていると言っていいような感じでした。レントゲン写真で確認してみると、本来歯の根っこの部分を支えている骨が全く無い状態の像が写っていました。残っていた歯の動揺が激しくなったせいで、この患者さんがこれまで装着していた部分入れ歯も装着することが不可能となり、満足に食事をすることもできなくなっていました。僕は患者さんの同意を得て、だめになった歯を抜歯し、直ちに、部分入れ歯に人工歯を追加したり、裏打ちを足したり、噛み合わせを調整しながら最終的に総入れ歯として使えるように改造したのです。
その日の診療終了後、僕は考え込んでしまいました。僕自身が行った行為事態は間違った行為ではありませんでした。患者さん自身、早く入れ歯を使って噛めるようにしてほしいという強い希望もありました。患者さんの健康状態を考慮しながら思い切って10本以上の動揺していた歯を抜歯し、部分入れ歯を総入れ歯に改造することで食事ができるような状態にすることは必要不可欠な行為でした。けれども、どうしようもなかった歯とはいえ、抜歯した歯は全て患者さんが親からもらった大切な臓器です。このことを思うと、一度に多数の歯を抜いたことに罪悪感みたいなものも感じざるをえなかったのです。
ある知人の歯科口腔外科医はいつも
「私は人様の歯を抜くことで飯を食っているんだ」
と口癖のように言っていました。知人の歯科口腔外科医は一般の歯科医よりも歯を抜く機会が多いもの。そんな知人の口から出た言葉には同じ業界人からみても説得力があります。僕も歯科医として歯を抜いてもいい立場ではあります。歯科医師免許のもと、歯医者は治療行為の一環として抜歯が許される職業人ではありますが、毎日患者さんの口の中を診ているとそのような意識が次第に無くなってくるのです。歯を抜くことが当たり前のような感覚になってくる、感覚が麻痺してくるのです。僕もそんな歯医者の一人でした。
今回の多数歯の抜歯は、僕に歯の抜歯の原点に立ち戻らせてくれたような気がしました。患者さんの飯が食えるように抜歯をしましたが、歯医者である僕は飯を食うために抜歯をしているという現実。患者さんの大切な臓器の一つである歯を抜歯することで生活させてもらっているという現実。
このことは決して忘れてはならない、肝に銘じていきたいと思う、今日この頃です。
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