歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2006年05月25日(木) 漉し餡好き、粒餡好き

昨日、嫁さんが買い物から帰ってきました。両手に近所のスーパーで買った食料品が一杯入った買い物袋を持ち、家の中に入ってきました。毎度我が家で見られる光景の一つではあるのですが、そんなスーパーの買い物袋以外にもう一つ別の袋がありました。それは、スーパーの中に入っているパン屋さんの袋だったのです。そのパン屋さんは我が家のお気に入りのパン屋さんでいつもパンを買うときはそのパン屋さんで買っているのです。今回もそのパン屋さんの袋の中には何種類かのパンが入っていました。チビたちが好きなロールパンやチーズパン、メロンパンなどが入っていました。

買い物から帰り小腹の減っていた嫁さんはおもむろにあるパンを取り出し、半分に引きちぎりました。そして、僕に

「そうさんも半分いらない?」
半分に引き裂かれたアンパンを見て、僕はあまりいい気がしませんでした。
その理由は、せっかくのアンパンが半分に引き裂かれ、小さくなったからではありません。僕はアンパンが半分になって怒るほどけち臭い人間ではありません。それでは、どうして嫁さんが引きちぎったアンパンを見ていい気がしなかったといいますと、それはアンパンの中身が問題だったからです。嫁さんが買ってきたアンパンは粒アンの入ったアンパンでした。この粒アンが僕には気に入らなかったのです。


幼少の頃から、我が家では餡子を家で作っていました。我が家では1年に最低2回は餅をついて作っていました。一緒に暮らしていた祖父や祖母が大の餅好きだったからですが、もち米を竈で蒸して、臼と杵で餅をついて作っていたものです。その餅のために必ずトッピング用に用意いたのが餡子でした。それも、粒アンではなく漉しアンだったのです。どうして漉しアンばかり作っていたのかということになりますが、これは祖母の好みだったようです。そのおかげと、僕も幼少の頃から常に漉しアンに親しみ、今日に至ったのです。そのため、僕にとって餡子とは漉しアンというイメージが完全に頭の中に出来上がってしまったのです。

誤解のないように書いておきますが、僕は粒アンを全く食べないということはありません。少なくとも他人の目がある場合、僕はこれまで何度も粒アン入りのアンパンや団子、ぜんざいなどを食べてきました。けれども、粒アンを食べた時にいつも決まって感じるのは、餡子を食べたという実感がわかないことです。どうして実感がわかないかということを言葉で説明しようとしても難しいのですが、どうも僕の頭の中には餡子イコール漉しアンというイメージが完全に出来上がり、粒アンを認めない思考パターンが出来上がっているからなのです。


一方、嫁さんは餡子といえば粒アンというほどの粒アン派です。僕とは全く異なり、粒アンを食べないと餡子を食べた気がしないと言います。話を聞いてみると、嫁さんの実家では昔から皆粒アンを好んで食べてきたそうで、嫁さんも幼少の頃から粒アンに囲まれて大きくなったらしいのです。そのため、アンパンももっぱら粒アンの入った物を選んでいるのです。

三つ子の魂百までと言いますが、幼少の頃の生活習慣、食習慣というものもその後の食習慣に影響を与えると言えるでしょう。我が家では僕は漉しアン派、嫁さんは粒アン派ということになっていますが、それぞれ育ってきた環境がこのようなことにしたことは想像に難くないことでしょう。

それでは、我々夫婦の二人のチンチンボーイズたちはどんな好みに育つのでしょう?
漉しアン好きに育つのか?それとも、粒アン好きに育つのか?僕と嫁さんの間では、それぞれ漉しアン好き、粒アン好きに育てようと虎視眈々と狙っています・・・。


 < 前日  表紙  翌日 >







そうさん メールはこちらから 掲示板

My追加