歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2006年05月23日(火) 教えることの醍醐味

先週の日曜日のことでした。小学校2年生の上のチビが勉強机の上で何やら悪戦苦闘している姿を目にしました。

”一体何をしているんだろう?”
と思い覗いてみると、ある通信教育の練習問題集でした。その問題集には毎日しなければいけない課題があるのですが、上のチビはその課題をさぼっていたようで何日分もためてしまっていたのです。そのたまった分を一気に取り返そうと必死でやっていたみたいなのですが、ある問題につまづいていたために気ばかりあせり、いらいらしていたのです。その問題を読み、問題が意図しているところを把握した僕は、上のチビに問題を解くための手順を教えてやりました。最初半信半疑だった上のチビでしたが、僕が段取りをつけたやり方で問題が解けると、

「もう少しそばにいてほしい」
と言い出す始末。気が付くと2時間ほど上のチビの勉強を見てしまいました。勉強が終わりになるとさすがの上のチビもあくびを連発していましたが、ためていた課題が終わると満足そうなニコニコ顔をしながら

「今度は外でキャッチボールをしよう!」
と言って、晴れた天気の家の外へ駆け足で出て行きました。

僕はこの4月より歯科関係の専門学校で非常勤講師として教鞭を取るようになりました。教鞭を取るといっても週1回、期間限定の非常勤講師なのですが、患者さんの診療を行い、地元歯科医師会の仕事をこなしながらの講義というのは結構大変です。講義するだけならまだいいのですが、講義には必ず下準備が要ります。特に、今回初めて講義をする僕にとって、下準備は非常に手間隙がかかり、講義の下準備が整うのはいつも講義の前日という有様。

肝心の講義はというと、正直言って試行錯誤の連続といったところで、最初のうちは学生が本当に僕が講義している内容を理解してくれているのか自信を持てませんでした。特に、僕が講義している内容は歯科関係の内容とはやや縁遠いことが中心です。僕の某歯科大学時代、同じ分野の講義を受けましたが、結構退屈でいつの間にか夢うつつという状態だったものです。まさか、その夢うつつ状態に陥った分野を将来自分が講義しなければならない立場になろうとは夢にも思わなかった当時。そんなことならもっと学生時代に勉強しておくべきだったと思いながら講義の下準備をしているわけですが、学生時代にはわけのわからなかったことが実は非常に奥深い知識や技術、歴史などが背景にあることを知るに連れ、これはこれで面白く感じます。

そのような下準備を元に学生に講義をしているわけですが、当初僕が教える講義分野に関心を持ってくれる学生はいませんでした。それはそうでしょう。僕自身が退屈に感じた講義なのです。学生たちに興味を持てと命令しても無理な話です。けれども、ある言葉の由来やエピソードを冗談を交えながら解説すると、数少ないながらも興味を持っていたり、関心を持ってくれる学生の姿が出てきました。中には質問をしてくれる学生も出てきました。先週の講義では、ある言葉の説明をしていると、急に僕の話に耳を傾ける生徒が急に増えました。何がきっかけだったかはわかりませんでしたが、明らかに自分に対して視線の数が増えたのは確か。
これが教えるということの醍醐味の一つなのでしょうか?

教えるということは結果が直ぐにでるわけではないもの。むしろ結果が出ないことの方が多いかもしれません。ましてや学生たちの生き方に影響を与えるような内容の講義というのは非常に難しいものです。けれども、自分が持っているものを気持ちをもって教えた時に学生や生徒からレスポンスがあるというのは実に気持ちがいいものです。一種の快感に近いものがあるように思えました。決して自己満足に陥るというわけではなく、自分が教えたことが確実に相手に伝わっていることがわかるということは、何物にも勝るところがあるのではないか?素人教師の僕はそのようなことを思うのです。

僕の講師としての給料は決して高くはありません。むしろ、準備時間を含めれば安いのではないかと思うくらいですが、日頃の診療で得られるものができない、下の世代への知識、経験の伝達という行為を体験できるという環境は、非常に有り難く、有意義な時間を持つことができているのではないかと思うのです。これはお金では決して買えないものです。

4月以降、これまでに経験をしたことがない時間に追われるような生活を強いられ、体力的にはぎりぎりの状態が続いているのですが、教育というものの可能性の一端を肌で感じつつあるように思う、歯医者そうさんです。


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