歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2006年04月05日(水) 同じ入れ歯は二度と作れない

先日、僕はある患者さんの総入れ歯をセットしました。長年使用していた総入れ歯が割れたということでその患者さんは来院されたのですが、修理を行うにあたり、様々な点でその総入れ歯が限界に達していたことがわかりました。そこで、僕は新しい総入れ歯を作ることを提案し、その患者さんも僕の提案を受け入れ、新しい総入れ歯を作り出したのです。結果的に、その患者さんは総入れ歯の出来に満足してくれていたのですが、セット時何気なく新しく作った総入れ歯と古い総入れ歯を並べてみると、全く別物のように見えました。

新しい総入れ歯と古い総入れ歯が別物であるということは、当たり前といえばそうかもしれませんが、実際のところ、新しく作った総入れ歯は患者さんがこれまで使用していた総入れ歯を参考にして作ったものだったのです。それにも関わらず、出来上がった総入れ歯は古い総入れ歯とは形が異なっているのです。古い総入れ歯を作った当時の患者さんの口の中と今回の治療時の患者さんの口の中の状態は全く異なるわけですから、オーダーメイドである総入れ歯も当然のことながら形が変わるのは仕方がないことではあります。けれども、作った入れ歯の形が異なるのはそれだけの理由なのでしょうか?

僕が某歯科大学の学生時代のことです。僕は総入れ歯をつくる模型実習を受けていました。僕を含めた同級生百数十人が一斉に総入れ歯を作っていました。全く同じ模型を元に型を取り、全員が同じ材料で噛みあわせを決め、人工歯を並べて総入れ歯を作ったのです。そんな総入れ歯を作った実習の最終回のことでした。僕たち学生は講義室に一堂に会しました。手元には自分達が作った総入れ歯を置いていました。実習の最終回ということで、担当の教授がまとめの講義を行なったのですが、講義を始める前、その教授は僕を含めた学生全員が作り上げた総入れ歯を一つ一つ手に取り、眺めていきました。全ての総入れ歯を見終わった教授は僕達学生に対し、しみじみと語りました。

「毎年思うことなんだが、全く同じ模型を元に同じ材料、同じ製作方法で総入れ歯を作っているはずなのに一つとして同じ総入れ歯がない。私は長年総入れ歯を作り、学生に教えてきたのだが、どうして同じ入れ歯を作ることができないか全くわからないままでいる。」

教授が言ったように、実際の臨床とは異なる意図的に同じ条件の下での模型実習の場においても、誰一人として同じ総入れ歯を作られることがないということは全くもって不思議な気がします。機械が総入れ歯を作るのであれば全く同じ総入れ歯を作ることは可能かもしれませんが、人間の手によって作られた総入れ歯に同じ物が一つとしてないのは、実に興味深いことです。

以前、数人の高名な総入れ歯作りの名人の先生が一堂に会し、ある一人の患者さんの総入れ歯を作るという試みがありました。実際に出来上がった総入れ歯を見て、誰しも驚きを隠せませんでした。それは、総入れ歯作りの名人が作り上げた総入れ歯が同じものが全くなく、むしろ個性があるという事実でした。しかも、どの総入れ歯も患者さんは満足に使用したそうなのです。

このことは、総入れ歯作りの奥の深さを物語っていると思います。総入れ歯を作ることを科学的に分析しようと世界中の歯医者が研究を行なっています。長期間研究が行なわれているならば、総入れ歯作りが科学的に分析されてもいいようなものですが、実際のところは、それなりの知識、治療経験に基づいた多種多様な総入れ歯作製方法が考案されるだけで、科学的に分析できないままでいるのです。

愚考するに、人間の体というのは、ある一定の生理学的許容範囲内であれば、どんな入れ歯でもなじむことができる不思議が特性があるのだと思います。人間の体の不可思議な適応力がある故、総入れ歯は一定の基準を満たせば誰でも個性のある総入れ歯を作ることができ、患者さんに満足して頂けるのだろうと思うのです。

それ故、総入れ歯を含めた入れ歯作りは奥が深いように思えてなりません。完全な答えが求められていないことを探究することは実にやりがいのあることだと思う、歯医者そうさんです。


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