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ヤマザキマリ著の「貧乏ピッツァ」に出てきた"おふくろの味"の話にふと考えてしまった。ロクちゃんは大人になった時、何をおふくろの味と言うだろうか。わたしにとっての"おふくろの味"は即答で卵焼きと鶏の唐揚げだと言える。母はひととおり家族のためにごはんを用意してくれたが、料理が好きではなかったからすごくレパートリーも少なくて、ヘビロテで食べていたものばかりだった。卵焼きと唐揚げは、子供の時から母がお弁当を詰めてくれる日は絶対入っているもので、それは冷めていても美味しかった。22歳の時、あるきっかけでもう肉は食べないと決めた。格段肉が好きだったわけではなかったから、別に大した決断ではなかった。しかし、母の鶏の唐揚げだけは別だった。一緒に暮らしてなかったから、作ってもらう機会は滅多になかったが、見れば絶対食べたくなる。これだけは、やめることをやめた。
他人のおふくろの味というのも興味深い。パースに住んでたオーストラリア人の友人はメルボルンに住んでるクロアチア人の母親から送られてくる大量の瓶詰めのトマトソースを受け取っていた。重量も重いし、いったいいくらかけて送ってくるのか。
「レシピ教わって自分で作ったほうがいいんじゃ?」
と提言したら、
「いや、そんなシンプルじゃないんだ。火加減とかあれこれあるし、絶対同じの作れないから」
と返された。
ロクちゃんは、今のところだとおふくろの味は"パン"とでも言うだろうか。彼がはじめて食べたパンは、わたしが家で焼いて常備してるライ麦と全粒粉を混ぜたカンパーニュだった。日本の子供がよく食べてる油脂やミルクの入った柔らかいパンとは違って、彼がパンを食べる姿は、獲物を捉えた小さな肉食動物のように頑張って食いちぎっていた。当人が好きかどうかではなく、あまり主食にバターやミルクや砂糖の入ったパンをあげたくなくて、ずっとそれを食べさせていたら、どうやら彼にとってのパンはこのカンパーニュに定着したらしかった。たまにブリオッシュのようなパンをあげてもあまり喜ばず、カンパーニュを有難がる子になっていた。あとは家の裏の笹の葉を摘んできて仕込む自家製納豆か。納豆は毎日でも食べられるらしい。3歳の誕生日に何が食べたいか、と聞いたら、
「バナナ」
と言われた。もう少し喋れるようになったら、おふくろの味について聞いてみよう。