My life as a cat
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2020年08月26日(水) 一年後の自分の姿

妊娠中期の精密エコー検査の日。わたしのほうはお腹の赤ちゃんが一日中元気に動き回ってるのを感じられるから、なんとなく何事もなく育ってくれてるような気になってさほど不安に感じていなかったのだが、お父さんはそんなわけにはいかないらしかった。だから30分に渡るエコー検査の結果"パーフェクト!"と太鼓判を押された時、リュカはそれはそれは安心したのか、その後ランチにと入ったラーメン屋で検査結果の数値とにらめっこしながら、ものすごい食欲を発揮したのだった。

わたしは本当はものすごい幸せな境遇にいるはずで、実際生まれてくる子のことを思って買い物や創作をしてる時は幸せなのに、その一方でニースのような街を歩いていると、ふと"失った自分"とすれ違って寂しい感覚に襲われる。お腹はすらりと軽くて、ビキニの上にショートパンツにタンクトップを着て走り出しそうな足取りでビーチに向かって歩く女の子達、さらりと夏らしいシャツを着て颯爽と歩く会社員らしい女性。自分が彼女達だった時、大きなお腹を抱えた妊婦さんはすごく満ち足りた幸せな雰囲気が漂っているように見えた。それが自分がなってみたらどうだろう。少なくともわたしはそんな雰囲気には見えないだろう。ちょっと動いては息切れしてて、コロコロ変わる山の天気みたいに、さっきまで笑ってたと思ったら突然すごい汗を吹き出しながら吐いてしまったりしてリュカを怯えさせている。先日ビーチでリュカが撮った写真に写る自分の姿を見た時は思わず叫んだ。

"Holy cow!!!"

文字どおり、そこに写ったシンプルな黒のワンピースの水着を着たわたしは、胸も腹もぷっくりで重そうに横たわっていて、その姿は正に"聖なる牛"のようだったのだ。3人の子供の母であるあのゴクミさんが雑誌で"妊娠してた時は子供がお腹にいる感覚がものすごく幸せで、またあの感覚を味わいたい"なんて言ってた。そんな人もいるんだな。わたしはといえば"その日"がやってくることを誰よりも恐がりながら、ひたすら指折り数えて早く過ぎることを願ってたりする余裕なし妊婦なのだった。

ニースのビーチを眼前にして、それにしても、としみじみ思う。一年前、小さなヴァカンスだとニースの友人の家に泊りがけで遊びに来た。夜遊びを楽しんだ翌日、友人と彼女のシェアメイトの女の子と3人でビーチに寝転んで過ごした。わたしより10歳若い友人は1年付き合った人と別れたばかりで新しい幸せを探求していた。

「インスタとかで充実したようなハッピーな雰囲気の写真を沢山載せると人生が好転するらしいからね」

と写真を撮ってはアップしていたっけ。その友人より更に5歳若いシェアメイトの女の子は

「昨日のデートすごいよかったのよ。キス寸前までいって、でもカフェだけご馳走になって、、、彼はすごいキュートで、その余韻で眠れなかったの」

とかそんな話で盛り上がってたっけ。わたしは若い女の子二人がそんな話で盛り上がってるのを聞きながら、ぺたんこだったお腹で水に飛び込んでは沢山泳いで、食べて、と繰り返してた。

それから一年経った今、友人はその日から間もなくして知り合った人と結婚して一緒に新居作りに忙しくしてる。シェアメイトの子は結局母国オーストリアで別れてきた元彼とよりを戻して、一緒にベルギーで暮らしてて妊娠してるらしい。そしてわたしも・・・。3人とも今の自分の姿をあの日あのビーチに寝転びながら想像できはしなかっただろう。来年のわたしはすっきりしたお腹で授乳でもしてるんだろうか。それとも聖なる牛の面影を引きずって体型を戻すのに四苦八苦してるのか。はたまた赤ちゃんに気を取られてそんなことはどうでもよくなってるのか。


貧血気味なので、このところ毎日"食べる輸血"といわれるビーツを食べている。今日は人参とビーツのきんぴら。最初は食べ方がいまいちわからなくて、美味しい食べ方を模索してたけど、最近は人参みたいな位置づけで扱えばいいんだとわかってきた。慣れてくると美味しいものだ。生でスライスして柑橘系とのサラダに入れたりするのも悪くない。

(今日のにゃんこ。段ボール箱、クロちゃんがベイビーベッドのごとく使ってるから捨てそびれてる)










Michelina |MAIL