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隣人のドミニクは宇宙の話や愛の詩を書いたりするのが好きな典型的ロマンチストなラテン男。こういう人の脳は"現実"を直視することを拒む傾向にある。2月のわたし達の会話。
「わたしコロナが流行りだしてから外でなにかに触ったりするのがちょっとこわいのよね」
「大丈夫だよ。君は若いし罹っても死なないよ」
「わたしは死なないよ、多分。でも人にうつしてその人を死なせる可能性はあるのよ。それに何より、わたしは人生の大切な時間を不調で無駄にしたくなんかないのよ」
「・・・」
「あなた医療の現場で沢山の患者と接触して、イタリアに帰ってお母さんにキスしたりしてないでしょうね」
「え?してるよ。だってマンマとキスしないなんて・・・」
「でもあなたのお母さんは手術から戻って退院したばかりだし、何より高齢者なのよ。コロナ感染させたら危険じゃない」
「僕は感染してないよ。だってこの通り元気だし」
「感染したって潜伏期間があるのだから、今感染してるかしてないかなんてわからないでしょ!」
「・・・。でもメディアは煽りすぎだと思うな。人々に恐怖心を抱かせようとしてる」
「イタリア人はもう少し恐怖心もったほうがいいと思うわ」
それから1ヶ月後、3月。イタリアは日本の32倍の感染者と125倍の死者を出して国は経済を完全停止して、国境を閉鎖した。ラテンの国には触れ合ってキスすることが真の愛と信じて、それで死ぬなら本望なんてワケのわからないこという人がいる。いや、あなた自身だけがそう信じて死ぬならいいけど、周囲の生きたい人も殺しかねないということも考慮してね。フランスもイタリアと同じ状況になって、さすがにわたしがマスクして歩いてるのを誰も嘲笑しなくなった。それどころか、人々は自身がマスクやグローブを着用しはじめた。
このラテン3国では経済を全てストップさせて国を閉鎖することは人々の意識を変化させるのに大いに役立ったと思う。そうでもしなければ、この楽観的な人々は大事な人が死んでしまうまで今まで通りの触れ合いを止めないだろう。可哀想だけど、今は触れ合う時ではないのだ。
「触れ合うのが愛だなんて今はそんなバカなこと言わないで。触れ合わないのが愛という時もあるのよ」
1ヶ月前、わたしのことを神経質な日本人だと嘲笑してたドミニクもさすがに項垂れていて、わざわざわたしの目の前までやってきて消毒液で手を洗ってたりする(自分の家でやってくれ)。
「ウィルスがフランス国内をまわっているのではなく、人がウィルスを運んでいるのです」
とマクロン大統領。人々の意識を変えなければ解決は望めないだろう。
経済がストップして国中が静かになった。貯金というアイディアのない人々、お金の心配などはあるだろうけど、人々は家に籠もって本を読み、楽器を演奏しはじめた。イタリアでは小麦粉の売上が80%もあがった。買い占めだけが理由ではないだろう。普段は共働きで、家に帰って乾燥パスタを茹でて、ボトルに詰められて売られてるパスタソースをかけて食べてた人達が自家製のパンを焼いたり、生パスタを打ったりする時間をもったんだろう。離婚するカップルも増えそうだし、良いことばかりじゃないだろうけど、地球も人もこの機会に休息して、忙しい時は考えられないことをじっくり見つめ直すのもいいでしょう。
昨日家の近所あちこちに貼ってあった猫探しの貼り紙消えてた。見つかったんだね、きっと。よかった、よかった。
(「愛がなんだ」はすごく良い映画だった。愛すること、愛されることの受け止め方についてすごく考えさせれれた)