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本気の夢は努力して夢ではなく現実に変えるべきものだけど、漠然とした夢や希望は心の中であたため続けるよりも大いに語ったほうがいい。西オーストラリアのパースを訪れた時、その空の大きさと風景の煌めきに圧倒されて、良い出会いにも恵まれたこともあって、決めた。
「ここに住む」
夢にする必要はなかった。お金さえあればかなうことだったから。ただ一年くらいの予定だったのが、その後長々と住み着くことになったのだが。
「フランスに住んでみたい」
とも口走った。ただこれは漠然とした夢だった。お金があれば叶うといっても、仕事を辞めて貯金をはたいて・・・・とかして突っ走ってしまうほどの何かにとりつかれたわけではなかったからだ。フランス映画の世界が大好きだったし(わたしがティーネージャーだった80年代、90年代には今よりもよほど一作品ごとにずっしりと中身が詰まって重みのある映画が沢山あった)、ピーター・メイルの"A year in Provence"の世界観にうっとりとして、地中海を見下ろす古い山村の風景なんかは憧れだった。いつか一年くらい住んで四季を肌で味わえたら、そんな夢だった。だけど、それを人に語ったことで物事は展開していく。リュカは初めて会った時から、それはもうひとめぼれといった雰囲気でぐいぐいやってきたのだが、わたしのその漠然とした夢を聞きつけてチャンスだと思ったらしい。こうして漠然とした夢は現実となったわけだ。
だから、最近お気に入りのレストランのお気に入りのシートに座ってぼんやり脳裏に浮かんでる夢を口にしてみる。
「窓から海の見える家に住みたい」
これは子供の頃にも考えた。でもやっぱり日本人だから"窓から海の見える家"は良いことばかりじゃなくて津波とかそんな想像も過る。コート・ダジュールに住むようになってからは、この夢はそう非現実的ではないように感じるし、津波の想像が頭を過ることもなくなった。これも本気になれば叶いそうだけど、本気で叶えたいわけでもないから単なる夢なのだ。少なくとも週に一度くらいはこの席に座って、食事をすることができる。それで本当は十分満足しているのだけど。
あとは友人達と話している老後の生活の話。
「80歳以上の老人だけでキャンプを作るの。一時に10人。ひとり出て行ったとか、死んだとかしたらその分別の人を入れる。もう男も女も関係なくて、ある人は手がない、ある人は視力がない、ある人は腰痛でよく動けない。だから10人合わせて一人の人間として機能するの。日々食べるものも、足の良い人が山でハーブを摘んで、手先の器用な人がパスタを練ってってみんなで少しずつ分担して。若くて健康な人に頼っておんぶにだっこで暮らすんじゃなくて老人だけで力を合わせて暮らすって素敵じゃない?」
これはわたしの案なのだが、ドミニクが合いの手をいれる。
「80歳過ぎたら男も女もなくなるの?」
「そう。100歳くらいになると血液型もみんなO型になるというように、男も女もただの人間のになるんじゃないかな?」
「ふ〜ん・・・(納得いかない様子)」
「あのね、このキャンプはヒッピーのスタイルじゃないからね。フリー・セックスもドラッグもありませんよ」
「えーー!!!そんなのやだやだ」
(笑)80歳過ぎてもう無理でしょー。
なんだかんだいってもドミニクはこのキャンプの話がけっこう気に入った様子で何かと話題に出すのだ。
「ねぇ、君のキャンプではさぁ・・・」
などと。死ぬまで人と協力しあって自立して生きられたらいいのに。