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知人のお母さんが亡くなった。94歳だった。数週間前に歩けなくなり、子供がパリへ出向いて面倒を見ていたが、やがてこちらの病院に移された。夜な夜なリュカから彼女の話を聞いていた。歩けないこと以外には特に悪いところはないから食事はちゃんと出来る。リハビリに励めば元通りに歩けるようになると信じたい子友達。しかし、彼女はもう歩くのが辛い。リハビリ2日目、数歩歩いて泣き出してしまった。祈るような家族の気持ちともうほとほと生きていることに疲れたお母さんの気持ちがひしひしと伝わってきて胸が締め付けられた。その二日後、朝食にビスケットとコーヒーを摂った後、老女は椅子に腰かけて、ひとりでひっそり眠るように息をひきとった。″眠るように″という言葉を聞いて他人事ながら安堵した。
わたしの祖父母である母の両親は痛んで痛んで苦しい顔で死んでいった。父方の祖母は先月病院で100歳を迎えた。こちらも歩けないこと以外は不具合がなく、病院で毎日食事やおやつを食べて暮らしている。100歳、すごいじゃない、という孫のテンションとは裏腹に当人は″いつになったら迎えがくるんだ″と待ちわびているらしい。食糧難も戦争も高度経済成長も経験してる。100年の人生何があったの?そう聞き出したくなる頃には当人はもうほとんど覚えていない。
両親ももうそう若くないのにわたしはこんな遠くに来てしまった。ベンチに座ってバスを待っていたら小中学生4人の子供と母親が激しく口論しながら通りかかった。内容はわからないが、子供は反抗期のような年頃。あぁいえばこういう、口ばかり達者でひとつも親に対する尊敬の念はない。わたしだってこのくらいの年の時は両親の愛情のありがたみなんて知ることはなかった。″自分が子供を持って初めて両親のありがたみが解った″という話はよく聞く。わたしには子供はいないが、それでも両親の背中がどんどん縮こまって小さくなるにつれて、一生懸命働いて自分を育ててくれたという感謝の気持ちが沸いた。若くして親を亡くしてしまう人もいる。ちゃんと親のありがたみに気付く年になるまで両親とも健康で生きていてくれてよかった。だからわたしは二度とやり直せないことを後悔したりせずに済んだ。